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ドイツレクイエム特集

20回記念演奏会でドイツレクイエムに取り組むにあたり、ドイツレクイエムの対訳を"ブルーメンのオリジナル"として取り組んできました。 少しでも曲への理解を深めるため、団員向けに逐語訳・聖書解説を用意し、少しでもいい演奏ができるよう、また20回の記念になる企画を、ということで、団員に配布した内容をHPでも紹介させていただきます。
内容的には個人的な解釈の部分もありますので、ご了承ください。

 

私とブラームス6(第20回特別)

とうとう回ってきてしまった私とブラームスのリレーエッセイ。
記念すべき20回の演奏会で筆を持たせてもらえるということは、いわゆる「古株」になってしまった私に何かブルーメンとブラームス、そんなテーマで語れ、ということか。 実はブルーメンの始まりは、今回取り上げたドイツ・レクイエムに深く関係している。
 JMJ(通称ジュネス)というNHKがスポンサーとなっている大学生を中心とした寄せ集めのオーケストラが平成3年のコンサートで「ドイツ・レクイエム」を演奏した。
ブルーメンの創始者であるオーボエ奏者は、メンバーを集める際に、そのコンサートで一緒になったメンバー何人かに声をかけたのだ。
 あれから10年。当初から参加していた私としては20回記念でドイツ・レクイエムを演奏できることがとても感慨深い。

 さて、私とブラームスというテーマで語るとすると、私にとってブラームスの曲は大切な人との別れを思いださせることが多い。
 高校生の時、ピアノのレッスンで、ブラームスのラプソディの2番をやるからとブラームスのピアノ曲集を購入した。同じ本に入っていた3つの間奏曲をポロポロと弾いてみてとても衝撃を受けた。
ピアノの先生に「これを弾いてみたい」と勇気を振り絞って言ったが、「いい曲だけど、あなたにはまだ早いわねぇ。もっと年をとってから、弾いてみたら」とあっさり流され、とてもがっかりした。当時先生の家は自宅の目の前だったので、諦めきれず家で弾いていたら、次にレッスンに行ったとき「弾いていたのあなたね。」とニヤニヤされて気恥ずかしい思いをしたのをよく覚えている。
 その後大学に入り、大学のオーケストラでビオラばかり弾いていたので、レッスンへ行く機会もなくなり、先生とも疎遠になってしまったが、卒業後しばらくして、先生の訃報を聞いた。今でも間奏曲を聴くと、古いアルバムを覘くように当事のことを思い出し、もう二度と先生にレッスンを見てもらうことはないのだ、と切ない気持ちになる。

 ブルーメンのブラームスチクルス1回目は交響曲の1番だった。私はそれまでブルーメンの演奏会はなんと皆勤賞だったのが、演奏会直前に父を亡くしたため出演できなかった。このときのプログラムは、当時のことを思い出すので、今でも聴くのがつらい。目の前の現実によって受けた外傷は癒えても、心にぽっかり開いた穴は時間をかけてもなかなか埋まらないものだ、と思う。

 それでもなお、ブラームスの音楽はいろんな思いを全て包み込むように優しく、心を癒してくれる。それは例えば、冬の夕暮れに父の病室の窓から家族揃って見た綺麗な黒富士や、ブルーメンの仲間と弾いたブラームスの室内楽の刹那的な充実感、といった私にとって幸せな風景や思い出を、彷彿とさせるからだろう。
 仕事が忙しくて疲れている時など、気持ちがガサガサささくれだっている時には、ブラームスを聴いて、心に潤いを取り戻している。

私とブラームス5(第19回定期)

「私とブラームス」というタイトルでエッセイを書くことになった。
私にエッセイを頼むくらいだから、このプログラムの編集者は、私が相当ブラームスに対して思い入れを持っていると考えているに違いない。
あるいは書いてくれる人が私くらいしかいなかったのかもしれない。
とにかく、ブラームスは割と好きな作曲家である。どのくらい好きかというと、自分のパソコンにbrahmsと名づけているくらいである。
なぜベートーヴェンにしないのかというと、つづりが難しいからである。たしか、beetoubenとつづったと記憶しているが、あまり自信がない。
これがロシアの作曲家となると最悪である。チャイコフスキーやショスタコービッチなど、もはや覚えることは不可能である(正確なつづりを知っている方はアンケートの余白にでもご記入ください)。当の本人たちも自分の名前を覚えられなかったかもしれない。つくづく自分がロシア人でなくて良かったと思っている。ちなみに会社でメインで使っているパソコンにはbachと名づけていて、とても気に入っている。バッハはかなり好きな作曲家だ。以前、schumannと命名していたパソコンもあったが、なぜか数年前に壊れてしまった。
ところで、普段クラシックをあまり聴かない一般の人(本日ご来場下さったお客様が異常な人だという意味ではございません)にとって、ブラームスという作曲家は我々が思っているよりもなじみが薄いらしい。すなわち、名前を聞いたことはあるけれども実際に曲を聞いたことのある人は少ないようである。
私の友達も同様で、ブラームスの演奏会に誘っても「運命とか新世界なら行くよ」などと、大抵はつれない返事がかえってくる。よしんば演奏会に来てもらって感想を聞いても、おおよそ「良かった」か「眠かった」の2通りの回答しか得られない。ひどいのになると、「おまえが目立ってたよ」とか「今度はイングウェイ・マルムスティーンとジョイントやってくれ」とかめちゃくちゃなことを言い出す始末である。とはいえ、吹奏楽少年だった私も、かつてはレスピーギの「ローマの祭」とかホルストの「惑星」のような血沸き肉踊る系の曲がもっぱらで、ブラームスなんて渋すぎて聴いていられんと思っていたから、あまり人のことは言えないかもしれない。それが今では、ブラームス・チクルスなんてやっているオケに在籍しているのだから、世の中わからないものである。
小さい頃は苦手だった食べ物や飲み物が、成長していくことで、次第にその味の良さや奥深さがわかるということがある。音楽もこれと同じようなものかもしれない。小さい頃は退屈で眠たいとしか思わなかったブラームスの曲も、恋愛や離別、嫉妬、などの経験を重ねることで、自分の人生とブラームスの音楽とが同調し、次第にブラームスの良さわかるようになるのだろう。私も入学や卒業、就職といった重大な人生経験を積み重ね、今ではブラームスのCDもよく聴くようになった。特に布団の中で横になって聴くとぐっすり眠ることができる。コーラとかドクターペッパばかり飲んでいた少年が、渋い番茶や苦いコーヒーもすするようなおっさんになったというところか。でも、いちばん好きなのはビールです。

私とブラームス4(第17回定期)

寛容な大人でありたい、と思う。常にそういう気持ちが自分の内にあるのだが、もちろん実際にはその通りになど出来はしない。
以前、誰かと話をしていて、たまたま口論になり、内容は大した話ではなかったのだが、その口論の刺激のためか自分で驚く程涙が止まらなくなったことがあった。
話の相手にしてみれば、自分とはあまり関わりのないことで目の前で突然私が泣き出したのだからメイワクな話なのだが、こみ上げてくる気持ちの高ぶりをどうしても抑える事が出来なかった。
人は感情の生き物である。誰でも生きていればいつも様々な選択を迫られ、その度に自分なりの答えを出して形を整えてきたつもりでいても、感情は整えられるものではない。
ブラームスの音楽の根底には、理性ではどうにもならない感情のうねりが常に重々しく流れているように感じる。
それは深く暗い色彩を帯び、時に顔をもたげる優しいメロディーは諦めの声のようであり、また、溜息のようでもある。
そして、騎士道の精神に根付く力強さはどこかに弱さを内包し、寂しげである。 人は、年を重ねて大人になったつもりでいても、それは物のバランスのとり方を学んだだけで、本当は一生子供のままなのではないだろうか。いつも自由でいたい、何にも縛られずに生きたいと強く願いながらも、人々の愛と支えがなければ生きる意味は感じられない。 物事には限界がある。
しかし、その哀しみが充分すぎる程分かるからこそ人は優しくなれる。希望を手に邁進するのみである。

私とブラームス3(第16回定期)

私は曲を聞いた時に「~って感じ」と勝手にイメージを抱くことが多い。
そのイメージは我ながら悲しくなるほど、へんてこなものが多く、人に話して賛同を得たことはほとんどない。
むしろ激しいブーイングを食らうことが多いので、あまり人には言わないようにしている。
ブラームスに関して言うならば、ある時まで私にとってブラームスのイメージは「エースをねらえ」という漫画のお蝶夫人だった。
漫画の中に、お蝶夫人が試合中に独白で「あたくしこそは孤独だわ」と心の葛藤をあらわにするシーンがある。
その時、観客席でその試合を見ていた尾崎は、隣にいる藤堂の腕をぎゅっとつかみ、「まったくぞくっとさせられる。
ああいうところが好きなんだ」と言う。
私がブラームスを聞いて「ぞくっ」とした時、真っ先にイメージしたのは昔読んだこの漫画の一節だった。 それ以来、私にとって、よく言われるところのブラームスの悲劇性と情熱は、お蝶夫人のそれになってしまったのである。
ブラームスに対して新しいイメージを持つきっかけになったのは、彼のピアノ間奏曲だった。
それを初めて聞いたのは今から4年前、ブルーメンの合宿の行き道、ヴィオラT氏の車の中でのことだった。 すさまじい渋滞に巻き込まれ、東大9時出発~河口湖着18時という計9時間の移動中、目を血走らせてハンドルを握るTの横で(4人のうちドライバーは彼ひとりだった)、暇をもてあました我々乗客3人は、車の中に持ち込まれた紙袋一杯のCD、スコアをあさっていた。 その時に偶然かけられたのが、グールド演奏のピアノ間奏曲であった。
その時の衝撃はたいへんなもので、東京に帰ってからすぐにCDを買い、幾度も幾度も繰り返し聞いた。今になっても飽きることがない。
間奏曲の冒頭の優しい旋律を聞く時、いつも思い出すイメージがある。
それは「いつもポケットにショパン」という漫画の、主人公がピアノを弾きながら昔の出来事を回想するシーンである。
彼女は弾く時、真っ先に「おばさまの手から零れ落ちるキャンディ」を想起する。
私が間奏曲を聞いて真っ先に想起したのも「零れ落ちる」ものであり、「零れ落ちるもの」に対するブラームスの優しい眼差しであった。
大きな不幸を経験することなく、幸せに暮らしていても、手から零れていってしまうものはたくさんある。
疎遠になってしまった人たち、守れなかった約束、幻滅して崩れてしまった理想など、私はすぐに忘れてしまう。
それは幸せなことかもしれないけれど、実は忘れたふりをしているだけで、心の中にはしこりとなって残り続けているのかもしれない。
それらは歪んだ形になって積み重なり、私の中にいくぶんかある温かい気持ちを蝕み、言動に影響を及ぼしているのかもしれない。
だからといって、零れ落ちてなくしてしまったものを取り戻すことはもう出来ないのだろう。
でも、この曲を聞いていると、それらをすくいとり、やすらかな形で心の中に葬りなおすことが出来そうな気がしてくる。

私とブラームス2(第13回定期)

皆さんは何か一つの曲を聴いて、「あ、この曲は××色だ」なんて思ったこと、ありますか?
私の場合、なじみのオーケストラ曲はたいてい”色つき”です。 でもそのほとんどは、理由のよくわからない色づけで、たとえばチャイコフスキーの交響曲5番は「青」、モーツァルトの25番は「金色」という具合です。 『英雄』→闘い→流血、という極めて短絡的な発想から、ベートーヴェンの交響曲第3番は「赤」、という例もありますが。
ではブラームスの交響曲は、というと、これらもはっきり”着色”されていて、第1番から順に、白、黄、赤、みずいろです。 これも、何気なく出来上がっていた配色のはずだったのですが、実は4曲に対して私が抱いている別のイメージと見事に対応していることに最近気づき、我ながら目の覚める思いでした。 というのも私には、ブラームスの第1番~第4番は、春夏秋冬という季節の流れにそのまま重なるように思えてならないのです。 まず第1番、これは春の訪れです。雪解けの1楽章で始まり、4楽章では新しい生命の誕生に対する喜びが爆発、といった感じでしょうか。 第2番はさわやかな初夏。冒頭の低弦は波の音で、ホルンのあとの高らかなフルートはきらめく太陽光線です。 第3番は木枯らしの吹きすさぶ晩秋。第4番は厳寒の冬です。そして先ほどの4色ですが、白は雪を、黄は輝く太陽を、赤は夕焼けと紅葉を、みずいろは透明な氷を象徴しているというわけです。
こんな風に一度覆いこむと、他にもどんどんこじつけができてしまうからおかしなものです。 例えば、第2番3楽章のオーボエのメロディーは大輪の向日葵(ひまわり)に思えてくるし、第4番の4楽章は変奏曲だから、似てはいるけれどもどれも少しず つ違う雪の結晶にも通じるな、なんて。 でも、これらのイメージは完全に私のひとりよがりなのは言われるまでもなく明らかで、その証拠に、第1番の雪解けは私の故郷に近い立山連峰のそれが想定さ れているし、第3番の2楽章を聴くと、夕暮れ時に私の田舎の田園地帯を赤とんぼが飛び交う光景が浮かんでくるのですから。 それに、ドイツ人のブラームスがこんなに日本的な季節感を持ち合わせていたとも思えませんし。 巷で言われている、第2番=「田園交響曲」というのと、私の「夏の海辺」といのも、なんだか大違いです。ただ2番に関しては、ブラームスが夏の避暑地の湖 畔でインスピレーションを得て作曲したことを知り、「あながち的外れではないかも」などと一人で喜んでいる私です。 でも、ひとつの曲をめぐってもさまざまな思い入れを持った人たちがいて、その人たちがそれぞれに集まってさまざまな演奏をするから、音楽って楽しいんじゃ ないでしょうか。
皆さんのブラームスは、何色ですか?

私とブラームス1(第12回定期)

 「ピアノ四重奏曲第1番 ト短調」 (Vn. T.S)

好きな曲,思い入れのある曲は多数ありますが,好きな作曲家といえば,昔から断然モーツァルトとブラームスです。 ブラームスとの出会いは,幼少の頃,ハンガリー舞曲集をLPで聴き,家族で連弾したことです。 今でも,曲の中でLPが針飛びする場所,楽譜の配置まで思い出されるほど記憶が鮮明です。 私にとって,ハンガリー舞曲が唯一のブラームスでした。 今思えば,それはブラームスのほんの一面でしかなかったのですが。
こういう私を,ブラームスの世界へ一気に押し出したのが,大学1年の時にアマチュアの演奏で聴いた「ピアノ四重奏曲第1番 ト短調」です。ブラームスへの第1歩のみならず,何も知らなかった私にとって,室内楽の海への第1歩でもあったのです。これをきっかけに,ブラームスの室 内楽曲のCDを買いあさったものでしたが,一度で良いから,この曲を自ら演奏したいと思い続けていました。
その機会は,意外と早くきたのでした。 この曲に出会ってから1年後,ある合宿で,盲目のアマチュアピアニストと,この曲の4楽章を演奏する場を頂いたのです。 彼は,怒涛のごとく弾き始めました。目が見えないというハンディを全く感じさせず。 ハンディどころか,通常のアマチュアより上手で,完璧な演奏でした。 私自身は,引きずられるように演奏し,わけのわからないうちに終わってしまいました。 夢の曲のわりに,自分の演奏は御粗末でしたが,いろいろな意味で感動と衝撃の瞬間でした。
私は大学生になるまで,楽器を練習することの苦痛をあまり感じませんでしたが,同時に,特に楽しいわけではありませんでした。この曲は,自分に別の音楽人生のきっかけをつくってくれた曲,演奏することの喜びを与えてくれた曲です。 この曲に出会っていなかったら,今こうして,ブルーメンフィルハーモニーで楽器を弾いていることもなかったかもしれません。

ゲルハルト・ボッセ特集

Bosse2012年2月1日、ゲルハルト・ボッセ先生が逝去されました。
これまでのご指導に深く感謝するとともに謹んで哀悼の意を表します。

ブルーメンフィルは、2005年以来4回、ボッセ先生に指揮していただく機会に恵まれました。 昨年9月の第36回定期演奏会のブルックナー4番がボッセ先生との最後の演奏会となってしまったことは非常に残念ではありますが、リハーサルや本番を通し、本当にたくさんのことを教えていただいたことは当団にとって、団員にとって貴重な財産です。

先生に伝えていただいた多くのことを胸に、今後も演奏を続けてまいります。
ボッセ先生の安らかなお眠りを心からお祈り申し上げます。

ブルーメンフィルハーモニー 団員一同

これまでのボッセ先生との演奏会記録より