寛容な大人でありたい、と思う。常にそういう気持ちが自分の内にあるのだが、もちろん実際にはその通りになど出来はしない。
以前、誰かと話をしていて、たまたま口論になり、内容は大した話ではなかったのだが、その口論の刺激のためか自分で驚く程涙が止まらなくなったことがあった。
話の相手にしてみれば、自分とはあまり関わりのないことで目の前で突然私が泣き出したのだからメイワクな話なのだが、こみ上げてくる気持ちの高ぶりをどうしても抑える事が出来なかった。
人は感情の生き物である。誰でも生きていればいつも様々な選択を迫られ、その度に自分なりの答えを出して形を整えてきたつもりでいても、感情は整えられるものではない。
ブラームスの音楽の根底には、理性ではどうにもならない感情のうねりが常に重々しく流れているように感じる。
それは深く暗い色彩を帯び、時に顔をもたげる優しいメロディーは諦めの声のようであり、また、溜息のようでもある。
そして、騎士道の精神に根付く力強さはどこかに弱さを内包し、寂しげである。 人は、年を重ねて大人になったつもりでいても、それは物のバランスのとり方を学んだだけで、本当は一生子供のままなのではないだろうか。いつも自由でいたい、何にも縛られずに生きたいと強く願いながらも、人々の愛と支えがなければ生きる意味は感じられない。 物事には限界がある。
しかし、その哀しみが充分すぎる程分かるからこそ人は優しくなれる。希望を手に邁進するのみである。