とうとう回ってきてしまった私とブラームスのリレーエッセイ。
記念すべき20回の演奏会で筆を持たせてもらえるということは、いわゆる「古株」になってしまった私に何かブルーメンとブラームス、そんなテーマで語れ、ということか。 実はブルーメンの始まりは、今回取り上げたドイツ・レクイエムに深く関係している。
 JMJ(通称ジュネス)というNHKがスポンサーとなっている大学生を中心とした寄せ集めのオーケストラが平成3年のコンサートで「ドイツ・レクイエム」を演奏した。
ブルーメンの創始者であるオーボエ奏者は、メンバーを集める際に、そのコンサートで一緒になったメンバー何人かに声をかけたのだ。
 あれから10年。当初から参加していた私としては20回記念でドイツ・レクイエムを演奏できることがとても感慨深い。

 さて、私とブラームスというテーマで語るとすると、私にとってブラームスの曲は大切な人との別れを思いださせることが多い。
 高校生の時、ピアノのレッスンで、ブラームスのラプソディの2番をやるからとブラームスのピアノ曲集を購入した。同じ本に入っていた3つの間奏曲をポロポロと弾いてみてとても衝撃を受けた。
ピアノの先生に「これを弾いてみたい」と勇気を振り絞って言ったが、「いい曲だけど、あなたにはまだ早いわねぇ。もっと年をとってから、弾いてみたら」とあっさり流され、とてもがっかりした。当時先生の家は自宅の目の前だったので、諦めきれず家で弾いていたら、次にレッスンに行ったとき「弾いていたのあなたね。」とニヤニヤされて気恥ずかしい思いをしたのをよく覚えている。
 その後大学に入り、大学のオーケストラでビオラばかり弾いていたので、レッスンへ行く機会もなくなり、先生とも疎遠になってしまったが、卒業後しばらくして、先生の訃報を聞いた。今でも間奏曲を聴くと、古いアルバムを覘くように当事のことを思い出し、もう二度と先生にレッスンを見てもらうことはないのだ、と切ない気持ちになる。

 ブルーメンのブラームスチクルス1回目は交響曲の1番だった。私はそれまでブルーメンの演奏会はなんと皆勤賞だったのが、演奏会直前に父を亡くしたため出演できなかった。このときのプログラムは、当時のことを思い出すので、今でも聴くのがつらい。目の前の現実によって受けた外傷は癒えても、心にぽっかり開いた穴は時間をかけてもなかなか埋まらないものだ、と思う。

 それでもなお、ブラームスの音楽はいろんな思いを全て包み込むように優しく、心を癒してくれる。それは例えば、冬の夕暮れに父の病室の窓から家族揃って見た綺麗な黒富士や、ブルーメンの仲間と弾いたブラームスの室内楽の刹那的な充実感、といった私にとって幸せな風景や思い出を、彷彿とさせるからだろう。
 仕事が忙しくて疲れている時など、気持ちがガサガサささくれだっている時には、ブラームスを聴いて、心に潤いを取り戻している。