エルガー 序奏とアレグロ
エドワード・エルガー(1857-1934)は大器晩成タイプといえる。プロの作曲家として認められるようになったのは40歳半ば過ぎ。楽器屋の息子と して生まれ、楽器に囲まれて育ったものの、正規の音楽教育は受けることなく育った。しかし、音楽をこよなく愛し、独学で学んだピアノ、ヴァイオリン、ヴィ オラ、ファゴットの腕を活かして、近所の病院や教会で演奏したり、ヴァイオリンやピアノを教えたりしながら、空いた時間に作曲をするなど、音楽的には充実 した生活を送っていた。27歳のときには、地元のウースター大聖堂で行なわれた「三大合唱祭」にヴァイオリン奏者として参加。ドヴォルザークの指揮のも と、彼の『スターバト・マーテル』と交響曲第6番を演奏している。
32歳のときに8歳年上のアリスと結婚。結婚後、本格的に作曲活動を始めることを決意したエルガーは、妻アリスを連れて、ロンドンに移住する。作品はなか なか受け入れられず、苦しい生活を余儀なくされたが、1899年42歳のとき『エニグマ変奏曲』が成功し、世間の名声を得てからは、王室音楽主任に任じら れ、数々の勲章や位を受賞するなど、とんとん拍子。次々に力作・大作を発表し、イギリスを代表する作曲家として不動の地位を築いていった。
この『序奏とアレグロ』は、エルガー48歳、円熟期の作品である。友人アウグスト・ヨハネス・イェーガー(『エニグマ変奏曲』の第9変奏のモデル)の「ロ ンドン響のために"輝かしく速い"スケルツォ作品を書いてみてはどうか」という提案が、この曲を作曲する直接のきっかけとなった。主題となった旋律は、エ ルガーが西ウェールズを旅行したときに耳にした民謡のモチーフ。曲は華やかでドラマティックな導入から始まり、牧歌的な美しい序奏を経て、きびきびとした アレグロに突入する。わずか15分たらずの中に、生き生きとした躍動感と生命感がぎっしり詰まった、香り高い名品である。
この曲の初演は1905年3月8日、ロンドン響。この曲はエルガー自身「出来がいい」と自信を持っていたにもかかわらず、聴衆にはまったく受け入れられな かった。それは当時のロンドン響の弦セクションのレベルが、この曲を演奏するには低すぎたせいではないか、と言われている。私たちの演奏がそうならないよ う祈るばかりである。
シベリウス 交響曲第7番
ジャン・シベリウス(1865-1957)の生涯の最後の30年余りは謎に包まれている。交響曲第7番の完成が1924年、その後大作といえば交響詩『タ ピオラ』、劇音楽『テンペスト』を翌年ものしたくらいで、その後数曲の小品を書いているものの、創作はぱったりと止んでしまう。いくつかの証言によれば、 シベリウスは自らの創作力に衰えを感じつつも交響曲第8番を作曲しようとしていたらしい。1931年の日記にも、「私は『第8番』を書いている。青春の 真っ只中だ」とある。しかしこれは結局完成することはなかった。その理由は不明だが、有力な説は「自己批判の強さから、断片的に書いては破棄してしまって いたのではないか」というものである。なるほど言われてみれば、交響曲第5番の初演が成功を収めたにもかかわらず大幅な改訂作業をしたり、交響詩『タピオ ラ』を出版段階で「書き直したいから返して欲しい」と語ったりしたというエピソードは、彼の自己批判の強さを物語っているようだ。
計らずも彼の最後の交響曲となってしまった第7番は、第5番、第6番とほぼ同時に着想された。1918年の手紙には「第7交響曲、生命と活動の喜び、情熱 的なパッセージを伴って。3楽章制で、フィナーレはヘレニック(ギリシャ風)・ロンド」とある。しかし書き進めてゆくうちに、第7番は単一楽章の曲とな り、『交響的幻想曲』と名づけて発表する予定であったが、初演の段階になって再び『交響曲第7番』に戻した。当時、このような独創的な交響曲は他に例がな かった。あらゆる動機は非常に単純かつ素朴なもので、それが有機的に一点の無駄もなく発展していく。また、一度は幻想曲と名づけたように、フィンランドの 自然の森羅万象を映し出したかのごときある種の標題性をも持ち合わせている。この絶対音楽的性格と標題音楽的性格の二重構造こそが、交響曲第7番の魅力を 不動のものにしていると言ってもよいだろう。
さて、聞く側に立ってみると、この曲には重要な2つの主題が計5回、アーチ状に登場するのに気付く。すなわち、序奏部の木管による主題、要所要所で現れる3度の長いトロンボーン独奏、そして終わりに登場するフルートとファゴットによる主題である。
まず、弦とホルンの神秘的な和声進行の中から木管が初めて主題らしきものを提示する箇所において、聞く者を深い雪と氷に包まれた森の中へと迷い込ませる。 この主題が一段落すると、弦による静謐な歌が優しく包みこみ、次第に全楽器が加わっていく中から1回目のトロンボーン独奏が登場する。この箇所は3度登場 する独奏の中でも最も印象的で崇高な部分であり、フィンランドの叙事詩『カレワラ』に登場する原初の神々を想起せずにはおれない(管弦楽におけるトロン ボーンの独奏といえば、モーツァルトの『レクイエム』から、マーラーの交響曲第3番、リムスキー・コルサコフの序曲『ロシアの復活祭』に至るまで、何がし かの宗教的な意味合いをもって用いられてきたわけだが、このシベリウスの用法も同様の意味があると考えられる)。その後もこのトロンボーン独奏を媒介とし て場面転換が行われるが、3度目の独奏が終わった後から曲は最大の混沌と盛り上がりを見せ、やがて沈黙の中から冒頭の主題の変形がフルートとファゴットに よって奏される。いつまでも見ていたい夢から覚めたような一抹の寂しさを覚えるが、それをコントラバスのピツィカートの先導によって弦が慰撫するように波 打ち、全楽器がハ長調の永遠の音を奏でてこの曲を終える。なお、完全にハ長調の和音に解決するのは最後の一瞬だけであり、直前までハ長調の和音にない音 (ニ音、ヘ音、ロ音)がどこかしらで鳴っている。最後の最後まで不思議な音の世界を聞き取ることができるだろう。
ところで―シベリウスは「交響曲やその他の大曲の構想が自分の脳裏をおとずれるのは厳冬に限られている」(1941年、ヘルシンキにおける近衛秀麿との会見で)という談話を残している。ここにはシベリウスの音楽の本質、その一端が現れているように思えてならない。
エルガー エニグマ変奏曲
エニグマとはラテン語で「謎」。この曲の正式名称は『オリジナル主題による変奏曲』だが、エルガー自身がスコアに「ENIGMA」と書き込み、初演のプ ログラムノートに彼自身が「この曲にぼくはエニグマ(謎)を含ませた」と言及したことから、『エニグマ(謎)変奏曲』と呼ばれている。「謎」とは、いった い何なのだろうか?
*第1の謎:誰を表しているか、という謎
「私は1つの変奏曲をスケッチした。それは1つの主題に基づいており、私はその作曲を楽しんだ。なぜなら、それぞれに友人たちのニックネームをつけたから。君はニムロドという名前で出てくる」byエルガー。
このエニグマ変奏曲は14の変奏曲から成り、その変奏曲の冒頭には、それぞれアルファベットのタイトルが付けられている。上記のエルガーの言葉によると、 そのアルファベットは変奏曲中に描写された人物のイニシャルらしい。このイニシャルが具体的に誰を指しているかは研究が進んで、第13変奏「***」を除 いて、すべて明らかにされている。
*第2の謎:「演奏されない主題」、という謎
「全曲を通じて別の大きな主題があるのだが、それは実際には演奏されない」byエルガー。
この「演奏されない」主題、いわば「沈黙の主題」については諸説あって、いまだ解明されていない。有名な説としては①曲の冒頭で提示される主題のリズムが 「Edward Elgar」の自然な発音のリズムを表していることから「沈黙の主題=エルガー本人」という説、②主題の最初の音が「B」、2小節目の最後の2音が「A」 「C」、7小節目の主題の最終音が「H」であることから「沈黙の主題=Bach」という説、③エルガーが友人を描きこんでいることから「沈黙の主題=エル ガーの友情」という説、などが挙げられる。あとは、どことなく似ているという理由から、『蛍の光』、『イギリス国歌』、モーツァルトの交響曲第38番『プ ラハ』、グレゴリオ聖歌の『怒りの日』、スタンフォードの『レクイエム』なども挙げられている。しかし、いずれの説も決定打に欠けており、これからも議論 が続くことが予想される。
それでは曲を具体的に見ていきたい。
0.主題
ため息のような旋律が、問いと答えのようにひっそり交わされる。この最初の9小節の主題が、以下14曲に変奏される。
第1変奏 「C.A.E.」=キャロライン・アリス・エルガー(♀)
エルガーの妻。主題から切れ目なく演奏される。内省的でつつましい美しさにあふれた変奏。
第2変奏 「H.D.S-P. 」=ヒュー・デイヴィッド・スチュアート=パウエル(♂)
ピアニスト。小刻みに跳ね回る16分音符は、彼がピアノを弾いている様子を描写しているよう。
第3変奏 「R.B.T.」=リチャード・バクスター・タウンゼント(♂)
俳優。エルガーのゴルフ友達。ユーモラスなクラリネットのソロが、彼の裏声を使う様子を描写する。
第4変奏 「W.M.B.」 =ウィリアム・ミース・ベイカー(♂)
地主。スフォルツァンドは、彼が大声でまくしたて、大きな音を立てて扉を閉めて部屋から出ていくさまだと言われている。
第5変奏 「R.P.A.」=リチャード・ペンローズ・アーノルド(♂)
詩人の息子。物悲しい旋律と、軽やかな旋律の交錯は、彼の気まぐれな性質を表しているよう。
第6変奏 「Ysobel」= イザベル・フィットン(♀)
ヴィオラ奏者。ヴィオラのソロは、イザベルが跳躍の音型に挑戦している様子だと言われている。
第7変奏 「Troyte」=アーサー・トロイト・グリフィス(♂)
建築家。打楽器が活躍する賑やかな曲。ピアノを練習するが、うまくいかず癇癪を起こしている様子、という説と、サイクリング中、雷に襲われ木陰に避難している様子、という2説がある。トロイトはのちにエルガー夫妻の墓石を設計した。
第8変奏 「W.N.」=ウィニフレッド・ノーペリー(♀)
オーケストラの事務局員。温かい家庭的な雰囲気の曲。彼女の明るい笑い声と、彼女が住んでいた屋敷が描写されている。
第9変奏 「Nimrod」=アウグスト・J・イェーガー(♂)
音楽出版社ノヴェロ社の社員。エルガーは彼には「謎」のことを話し、「僕は君の外見上の姿ではなく、善良で愛すべき正直な魂だけを描いた」と伝えている。全曲中最も有名で、単独で演奏されることも多い。
第10変奏 「Dorabella」=ドーラ・ペニー(♀)
夫妻の友人。弦楽器のトリルは、彼女の「どもり」を表していると言われている。ヴィオラの朗々としたソロが印象的。
第11変奏 「G.R.S.」=ジョージ・ロバートソン・シンクレア(♂)
オルガニスト。川に転落した彼の愛犬ダンが、必死に泳ぎ、岸にたどり着く顛末が描写される。
第12変奏「B.G.N.」=バージル・G・ネヴィンソン(♂)
チェリスト。彼と、第2変奏に登場したスチュアート=パウエルと、エルガーは、3人でピアノトリオを組んでいた。
第13変奏 (***)(♀)
この変奏だけ、誰がモデルか、はっきり分かっていない。①船旅で知り合ったメアリー・ライゴン夫人②昔の婚約者ヘレン・ウィーバー③エルガーと相思相愛 だったジュリア・H・ワシントン、という3人が候補として有力である。ティンパニが船のエンジン音のような音を、クラリネットがメンデルスゾーンの『静か な海と楽しい航海』の引用を奏でているため、「船旅」と関係があることが予想される。
第14変奏 「E.D.U.」= エドワード・エルガー(♂)
作曲者本人。勇壮なフィナーレ。途中、妻アリス(第1変奏)とニムロド(第9変奏)が顔をのぞかせ、最後はオルガンも加わり豪華な響きのうちに締めくくられる。
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