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第41回定期演奏会プログラムノート

ハイドン/交響曲第88 番ト長調「V 字」

ハイドンは1761年から1790年までの約30年間、ハンガリーの有力貴族であるエステルハージ家に宮廷音楽家として仕え、そこで数多くの、そして様々なジャンルの作品を残した。特に交響曲においては、常に大胆な作曲手法を試み、器楽の地位を高めることに成功した。
本日演奏する88番が作曲されたのは1787年とされている。これはちょうど「パリ交響曲(82~87番)」と「ザロモン交響曲(93~104番)」の間にあたり、おそらくハイドンがもっとも「ブイブイ言わせていた」時期でないだろうか。熱狂的ともいえる音楽愛好家であったエステルハージ家の君主から多量な作曲を依頼される、いわば「おかかえ宮廷楽長」だったハイドンの名声がひろくヨーロッパに轟き、外部からの作曲依頼が飛躍的に増加していたような頃のことである。
第1楽章は、雄大なアダージョの序奏からソナタ形式のアレグロへ導かれる。弦楽器によって第1主題が呈示され、小気味よく、しかし緊張感を保ちながら繰り返されていく。
第2楽章はオーボエとチェロの美しい重なりから始まる心地よいラルゴ。身も心も溶かしてしまいそうなその旋律に加え、中盤ではトランペット・ティンパニが独創的に用いられる。
第3楽章は装飾から始まる軽快で明るいメヌエット。途中、民族舞曲風のトリオには奇妙なバクパイプ風の効果があり、それにちなんでドイツでは88番全体が≪バクパイプ付き(mit dem Dudelsack)≫と呼ばれることも。なお日本で名の知れている≪V字(Letter V)≫という呼び名はイギリスの
出版社が付した整理用の番号がたまたまアルファベットの "V" だったからにすぎないとか。(私ははじめ、オーケストラの編成を上から俯瞰すると隊列がVの字に見えたりするのかしら、などとしょうもないことを考えていたが…)
第4楽章はアレグロ・コン・スピーリト。複雑に工夫が凝らされた、輝かしい響きを持った曲である。ソナタ=ロンド形式は美しく、高声部と低声部の弦楽器によってフォルティシモで次から次へとカノンが続いていく。属七の和音でいったん終結すると、なだれこむようにしてコーダに向かい、喜ばしいままに終わりを迎える。
≪戯れたり、興奮させたり、笑いをひきおこしたり、深い感動をあたえる、といったようなことを、ハイドンほどうまくできる人はだれもいません≫
ハイドンと親交の深かったモーツァルトは、1781年から1785年の間に作曲した6つの弦楽四重奏曲(いわゆる「ハイドン・セット」)を献呈する際、そう語ったという。この88番も、まさにそんな曲ではないだろうか。
(Vn. G. Y.)

モーツァルト/オーボエ協奏曲ハ長調

この作品は、1777 年、モーツァルトが21 歳のころに作曲されたものといわれる。当時モーツァルトは、故郷ザルツブルクで、貴族の庇護のもと宮廷音楽家という安定した身分を与えられ、明るく快活な作品を多く生み出していた。しかし、幼少期から父に連れられてウィーン、パリ、ロンドンなどで最先端の文化に触れ続けてきた彼にとって、人里離れた山中にある田舎町のザルツブルクでは物足りなかったのだろう。この年の9月、モーツァルトは宮廷音楽家を辞め、活躍の場を求めて故郷を去っていく。
この作品は、モーツァルトが書いた唯一のオーボエ協奏曲である。世界で最も有名なオーボエ協奏曲であり、今日ではコンクールやプロオーケストラの入団試験でも必ず課題にあげられる曲となっている。巷でオーケストラブームを巻き起こした漫画「のだめカンタービレ」の中でも、普段は武士然と渋い演奏をしていたオーボエ奏者の黒木くんが、のだめに恋して“ピンク色”の演奏をするという場面で使われていた。こうした人気ぶりからは信じられないことだが、この作品の楽譜は長い間行方不明であり、20 世紀に入り発見されてようやく陽の目を見ることとなったのである。
さて、オーボエの魅力といえば何よりその柔らかく深みのある音色にある。加えてこの作品では、華やかな明るさ、軽やかさ、伸びやかさ、優美さなど、オーボエの持つ様々な魅力を存分に味わうことができるだろう。技巧的な部分の多い難曲でもあるが、そこを重苦しく聴かせないところは、さすがモーツァルトである。
本日は、日本屈指のオーボエ奏者である古部賢一氏のオーボエ独奏兼指揮により、オーボエの魅力を満喫していただきたい。各楽章最後のカデンツァ(即興独奏)もお楽しみに。
第1 楽章:Allegro aperto ハ長調 4/4 拍子
協奏風ソナタ形式。オーケストラ伴奏により2 つの主題が提示された後に、オーボエが単独で2 つの主題を演奏する。短い展開部、続く再現部
を経て、カデンツァで終章する。
第2 楽章:Adagio non troppo ヘ長調 3/4 拍子
ソナタ形式。オーケストラ伴奏による序奏の後、オーボエ独奏により2 つの主題が提示されるが、展開部と第1主題の再現を欠くまま第2 主題のみ再現されて、カデンツァで終章する。
第3 楽章:Allegretto ハ長調 2/4 拍子
ロンド風ソナタ形式。冒頭でオーボエ独奏による第1 主題が提示され、第2 主題が演奏された後、これら主題が交互に繰り返されて、カデンツァで終曲する。
(Ob. K. S.)

シューマン/交響曲第3 番変ホ長調「ライン」

1850 年9 月2 日、ロベルト・シューマンはフェルディナント・ヒラーの推薦によってデュッセルドルフ市の音楽監督に就任し、ライン川湖畔の同市に転居した。9 月29 日には妻クララ・シューマンと共にライン川を遡ってケルンに旅をしており、クララの日記にもこの町の観光を楽しむ様子が記されている。
29 日の日曜日、私たちはケルンへと気分転換の旅に出た。ドゥーツの初めの景色からすっかり魅了され、とりわけ大聖堂の壮麗さは素晴らしく、より近くから見るとそれは、私たちの期待をさらに上回るものだった。…(中略)…私たちは見晴らし台へと行った。そこからのラインの眺めも本当に美しいものだった。…
夫妻は11 月4 日から6 日までケルンを再訪しているが、この旅とラインラントの町から受けた印象が変ホ長調の交響曲につながったとされ、「ライン」の名前で呼ばれている(シューマン自身はこういう表題はつけなかった。この呼称も没後のものである。しかし、シューマン自身もN.ジムロックへの手紙でラインラントの生活の様々な姿が作品の中に映し出されていることを認めている)。1248 年から建造が開始されたケルンの大聖堂は19 世紀になっても完成しておらず、高々とそびえる塔は未完成だったが、壮大なドームがシューマンにどのような感想を抱かせたかは、クララの日記や第4 楽章(後述)から想像に難くない。5 楽章からなるこの交響曲のうち、2 つの楽章には当初叙述的なタイトルがつけられた。スケルツォの「ラインの朝」、第4 楽章の「荘厳な儀式の伴奏の性格にて」がそれである。後にシューマンは「自分の心象をあらかじめ公にする必要はない」との理由からタイトルを取ってしまうが、この交響曲とラインラントとの深い関係を見ることができるであろう。また、作曲は1850 年11 月2 日に着手され12 月9 日に完成したが、11 月12 日に執り行われたケルンのヨハネス・フォン・ガイゼル大司教が枢機卿に承認された際の祝典に触発され、第4 楽章が書かれたといわれており、トーヴェイはこれを「対位法を用いた教会音楽としてはバッハ以降、最高の作品」と評している。
初演は完成翌年の1851 年2 月6 日、シューマン自身の指揮によってデュッセルドルフで行われ、同月25 日にはやはりシューマンの指揮でケルンで演奏されている。
第1 楽章
ソナタ形式で書かれたこの第1 楽章は、序奏部なしに全楽器の強奏で力にあふれた第1 主題で始まり、ライン川の雄大さをイメージさせる。95小節目から第2 主題がト短調でオーボエとクラリネットによって現れる。第2 主題を中心とした長めの展開部を経て、ホルンによる第1 主題を契機に演奏は徐々に力を増し再現部に突入する。
第2 楽章
スケルツォと名付けられているが、素朴な民俗舞踊曲風で形式としてはロンド風である。ここでも第1 楽章の主題が浸透し、その明るさと確実さが晴れやかな気分を保たせている。
ライン川沿岸ののどかな風景を彷彿とさせる。
第3 楽章
木管楽器の優しくあたたかな主題で始まり、付点リズムで上下する音型と優美な旋律が交錯する。全楽章の間奏曲のような位置付け。
第4 楽章
ホルンとこの楽章で初めて登場したトロンボーンによる主題により第1 部が始まる。多声部にテーマが出てくるため、大聖堂に響き渡るような宗教的な雰囲気がある。第2 部では主題がカノン風に扱われ派生音型が展開される。第3 部は一層壮麗になり、弦のトレモロにのって主題が壮大に復帰し、オルガン風の和声が響くうちに終結する。
第5 楽章
ソナタ形式による晴朗な楽章。明快な低音部の動きに乗って秋の収穫祭を思わせる主題から始まり、ところどころに響く金管楽器などのファンファーレが祝祭的な気分を盛り上げる。第2 主題は控えめで、展開部に第4 楽章の主題が加わって総合されていく。ホルンによる上昇音型が現れて高潮し、再現部となる。ファンファーレが出てきた後、テンポアップしてコーダに入り、輝かしくも賑やかに終盤を迎える。
(Hr. N. K.)

松本特別演奏会(依頼演奏)

2014年5月25日(日)12:45開場、14:30開演

キッセイ文化ホール(長野県松本文化会館)大ホール

指揮:新通英洋,合唱指導:田中祐子 合唱:マタイ合唱団(公募による県民合唱団) キリスト:稲垣俊也、福音史家:頃安利秀、ソプラノ:遠藤久美子、メゾソプラノ:秋山雪美、テノール:鏡貴之、バリトン:淡野太郎

  • J.S.バッハ/マタイ受難曲

創設20周年記念特別演奏会プログラムノート

ベートーヴェン/「レオノーレ」序曲第3 番

一切の光も届かぬ秘密の地下牢、そこに無実の罪で投獄されているフロレスタンは、レチタティーヴォで悲痛な叫びをあげたのち、アリア「人生の春の日に」を歌う──ベートーヴェン唯一のオペラ『フィデリオ(レオノーレ)』第2 幕のこのような冒頭シーンをなぞるかのように、「レオノーレ」序曲第3 番の序奏でも、ユニゾンによるショッキングな強奏から、聴き手を地下深くへといざなうかのようなゆっくりとした下降音型ののち、このアリアの冒頭部分が引用される。ソナタ形式の主部の第2 主題にも使用されるこのアリアは、絶望の淵にあるものの嘆きとは思えないほど悲痛さとは程遠い温和で穏やかな音調にあふれているが、それはまさに自らの正義のために殉ずるというフロレスタンの高潔な精神を、ベートーヴェンが鋭い筆致で描き出したものにほかならない。
『フィデリオ』のストーリーはさらに以下のように進む──悪徳刑務所長ドン・ピッツァロの悪事を大臣に告発しようとして逆に囚われてしまったフロレスタン。その妻レオノーレは男装しフィデリオと名乗り、ピッツァロのもとで下働きをしながら夫を救出するチャンスを狙う。ピッツァロは大臣が刑務所へ視察に来る前にフロレスタンを殺してしまおうとするが、レオノーレは身を挺して夫をかばう。絶体絶命のその時、大臣の到着を知らせるトランペットが高らかに鳴り響き・・・かくしてピッツァロの悪事は暴かれ、フロレスタンの正義と、レオノーレの夫への愛が謳われ、歌劇は大団円を迎える──この、フロレスタンとレオノーレの窮地を救う「デウス・エクス・マキナ(機械仕掛けの神)」としてのトランペットもまた、序曲のちょうど真ん中に引用されている。序曲全体がオペラの第2 幕を凝縮し、予感させるような構造になっているのである。
演奏会の序曲として取り上げられることの多いこの「レオノーレ」序曲第3番だが、こうして劇中のアリアとファンファーレの意味を踏まえてみると、堂々たるハ長調の部分もいっそうの力強さをともなって響いてくるのではないだろうか。
(Perc. W. N.)

モーツァルト/ヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲変ホ長調

ヴァイオリンとヴィオラのための協奏曲
コンチェルト
風たちが奏づるよ水無月/永井陽子『小さなヴァイオリンが欲しくて』
モーツァルトをこよなく愛した永井陽子の歌。のっけから短歌の引用で恐縮だが、この曲は私にとってまさに「風」が舞う曲。風がさっと吹くように始まり、風に乗って空を飛んでいくような、のびやかで軽やかな曲である。
この曲はモーツァルト23 歳、1779 年の夏に作曲された。それはモーツァルトにとって、どのような時期だったのだろうか。
この2 年ほど前から、モーツァルトは旅に出ていた。アウグスブルク、ミュンヘンなどを経て、マンハイムとパリに滞在。安定した収入と就職先を求めての長旅だったが、これといった成功もなく、やりがいのある職も得られなかった。しかも、つきそってくれていた母が旅行中パリで病死。悲しみのうちにパリをあとにし、帰国途上で立ち寄ったマンハイムでは恋人の心変わりを知る。母の死と失恋という大きな挫折と喪失を経て、悄然とザルツブルクに帰ってきたのが、この1779 年1 月だった。
帰郷すると、モーツァルトは、父が用意したザルツブルクの宮廷オルガニストという新しい就職先におさまった。当時のモーツァルトの暮らしぶりは、姉や友人の日記に記録されているが、職務以外は散歩したり、友人と室内楽やカード遊びをしたり、平穏で刺激の少ない毎日だったようだ。
さて、そんなもぬけの殻のような時期であるが、当時の作品にはマンハイムやパリの影響が色濃くあらわれていると言われており、傑作も多い。
この協奏交響曲(シンフォニア・コンチェルタンテ)という形式自体、当時マンハイムやパリで流行していたものなので、この曲はモーツァルトの旅土産と言ってもよいだろう。「協奏交響曲」とは、複数の独奏楽器を擁した協奏曲のこと。それぞれの楽器の特性をいかした複数楽器の独奏とオーケストラの協奏は、聴いていてとても楽しい。
なお、モーツァルトはこの曲で、独奏ヴィオラに、半音階高く調弦する指示を残している。弦の張力を強くすることで音色を明るく華やかにするため、と言われているが、本日はこの方法を用いず、普通の調弦で演奏する。ヴァイオリンほどの明るさはないが、穏やかで優しい本来のヴィオラの音と、華やかなヴァイオリンの音の協奏を楽しんでいただきたい。
第1 楽章 Allegro maestoso
堂々とした第1 主題、牧歌的な第2 主題が演奏され、力強いコーダとなったあと、オクターブでふわりと浮き上がるように独奏楽器が登場。2
つの独奏楽器は、万華鏡のように少しずつ色を変えながら交互に歌い、活発な応酬を経て、最後は輝かしく集結する。
第2 楽章 Andante
深い憂いと悲しみをたたえた楽章。独奏楽器が慰めあうように対話する。途中少し光がさすが、すぐ短調に戻る。
第3 楽章 Presto
一転して快活なロンド。独奏楽器の丁々発止なかけ合いは、いたずらを競い合う子どものよう。いきいきと弾むように進んでいき、コーダで独奏楽器のかけ合いが頂点に達すると、曲は多幸感に満ちたまま華やかに閉じられる。
(Vn. S. H.)

シューベルト/交響曲第8(9)番ハ長調「ザ・グレート」

【番号】
シューベルトの7 番目以降の交響曲には、生前には番号が付与されず、番号の扱いが様々である。この交響曲は20 世紀初頭までは「第7 番」と呼ばれ、20 世紀半ばに作成された作品目録では9 番目、そして20 世紀後半に改定された目録では8 番目であり、国際シューベルト協会では「第8番」としている。現在では昔の通称との混乱を防ぐために「第9 番」との併記が多く、今回のプログラムでは「第8(9)番」と記載している。
【副題】
通称「ザ・グレート」と呼ばれている。シューベルトは他にもう一つハ長調の交響曲第6 番を書いており、後世になって区別するために「大きいほうの」ハ長調の交響曲と呼ぶようになったため、この呼び名がついた。
このようにもともとは第6 番に比べて大きいという程度の意味しか持っていなかったが、曲自体はその名にふさわしい曲想や規模を持っている。
指示通りに演奏すると1 時間以上かかる大曲であり、現代では珍しくないが、19 世紀前半においては通常想定される枠をはみ出た存在である。
【初演】
作曲は、1825 年頃と言われている。シューベルトはウィーン楽友協会へ提出したが、長すぎるとの理由で当時は演奏されなかった。
シューベルトの死後の1839 年に、その部屋を管理していたシューベルトの兄フェルディナントの元へシューマンが訪れ、自筆譜を確認した。そしてシューマンの友人メンデルスゾーンの指揮、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の演奏によって初演された。
【天国】
シューベルトは「歌曲の王」として知られている。この交響曲においても、全編に渡って美しい旋律を綴っている。シューマンは「天国的長さ」と評したが、単に長いのではなく、単なる繰り返しでもなく、美しい旋律が「天国のように」どこまでも続いているのである。その美しさをあげればきりがない。弦楽器はもちろんのこと、1 楽章・2 楽章の両楽章とも冒頭から2 フレーズ目を担当するオーボエ、2 楽章中間つなぎの部分のホルンなど。
特に同時代の他の曲に比べて目立つ点は、「神の声」とも言われるトロンボーンの多用である。天使となり悪魔となり、あらゆる箇所にその姿を現す。
【影響】
ベートーヴェンから影響を受けていることは想像に難くない。前年1824 年の作である交響曲第9 番からは、トロンボーンの活用、そして主題の引用など明らかな関連がある。一方、シューマンは自筆譜を確認した翌々年1841 年に交響曲第1 番を作曲、初演を指揮したメンデルスゾーンは翌年1840 年に交響曲第2 番を作曲しており、これらへの影響が想像される。
【楽章】
第1 楽章 Andante – Allegro ma non troppo
序奏は、遠くから鳴るホルンのユニゾンによるテーマから始まる。続いて木管、弦楽器と受け渡され、そしてトロンボーンを中心として最前面にテーマが押し出される。主部は付点のリズムによる主題、物哀しい主題、トロンボーンによって提示される力強い上昇音形の主題があり、それぞれに3 連符を絡めて構成される。
第2 楽章 Andante con moto
スタッカートを特徴とする動機を持つ主題A と、下降音形のレガートを主体とした主題B とによる、ABABA の形式である。1 回目の主題B から2 回目の主題A へのつなぎの部分のホルンは、シューマンが「天の使い」と評した美しさである。
第3 楽章 Scherzo Allegro vivace
同時代としては大掛かりな、スケルツォ楽章である。力強い主部とシューベルトらしい歌で綴られるトリオとで構成されている。
第4 楽章 Finale Allegro vivace
自由なソナタ形式によるフィナーレである。1 楽章と同じく付点のリズムと3 連符の組み合わせで構成される。天国的と称される交響曲の締めに相応しく、ソナタ形式を基本としながらスケールを大きくした構成となっている。ベートーヴェン交響曲第9 番の歓喜の主題を改変して引用しており、ベートーヴェンに対するオマージュと考えられている。
【今日】
ドイツ古典からロマン派を中心として活動してきたブルーメンの、20 周年の記念に相応しい曲である。指揮者を踊らせるような第3 楽章・第4
楽章は、第1 楽章・第2 楽章でじっくり旋律を歌った後でこそのものである。「ザ・グレート」という副題とは相反する、「短すぎる、まだ聴いていたい」という気持ちを、ホール全体に満たしたい。
(Hr. M. S.)

第40回記念定期演奏会

2013年11月24日(日)午後2時開演 すみだトリフォニーホール

指揮:寺岡 清高
ソプラノ:吉田 珠代, メゾソプラノ:中島 郁子, テノール: 与儀 巧, バリトン: 町 英和
東京オラトリオ研究会・新星合唱団(合唱指揮:郡司 博)

  • ハンスロット/ジュリアスシーザーへの前奏曲
  • ワーグナー/楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」第一幕への前奏曲
  • ベートーヴェン/交響曲第9番

 

松本特別演奏会(依頼演奏)

2011年11月6日(日)13:15開場、14:00開演 長野県松本文化会館

指揮:唐沢 昌伸、伴野 剛

ピアノ独奏指揮:臼井 文代

レクイエム合唱団

  • モーツァルト/歌劇「魔笛」序曲
  • モーツァルト/ピアノ協奏曲27番
  • モーツァルト/レクイエム

 

 

第34回定期演奏会プログラムノート

武満 徹/弦楽のためのレクイエム

武満 徹(1930-1996)は20世紀の日本の作曲界で国際的に成功した作曲家のひとり。65年間の生涯を閉じたのが1996年2月20日。現在を生きる我々とも時を重ねている作曲家である。
本日演奏する「弦楽のためのレクイエム」は、タケミツの初期の作品である。1957年5月に東京交響楽団からの委嘱により作曲され、同年6月20日に日比谷公会堂で東京交響楽団の第87回定期演奏会にて上田仁指揮により初演された。当初国内での評価は決して芳しいものではなかったが、1959年に来日中のストラヴィンスキーの耳に留まり Very Intense との評を得たことを機に状況が一転。タケミツの名と作品はアメリカそしてヨーロッパへと広まっていき、ニューヨーク・フィル125周年記念委嘱作品『ノヴェンバー・ステップス』などで国際的な成功を収めるに至る。また、タケミツの作曲の幅はオーケストラ作品のみにとどまらず、勅使河原宏監督「利休」などの映画音楽、テレビ番組、コマーシャルなど多岐に渡っている。
さて「弦楽のためのレクイエム」。レクイエムという曲名がつけられているが、伝統的なレクイエムの形式ではなく、単一主題による、レント-モデラート-レント という自由な三部形式で構成されている。この曲の解説にはタケミツ本人の言葉が最も相応しいと思われるので、一文を引用させていただく。
 

「はじめもおわりもさだかでない、人間とこの世界をつらぬいている音の河の流れの或る部分を、偶然に取り出したものだといったら、この作品の性格を端的に明かしたこととなります」

我々は三次元の空間と一次元的な時間の流れの中で生きている。しかし、それぞれがこの実在空間とは別の次元で精神世界を持っている。タケミツが偶然に切り出した音の河は、精神世界を絶え間なく流れている音ではないかと。みなさまの音の河はいかなるものでしょうか?
我々の演奏を通じて譜面から浮かびあがるタケミツの音の河。みなさまそれぞれにも何かを感じていただければ幸いである。

 

シューベルト/交響曲第4番 ハ短調 「悲劇的」

 シューベルトの歌曲は、親しみやすい『野ばら』や『音楽に寄せて』の他、『魔王』のように劇的なものや『セレナーデ』のように叙情的なもの、さらには『菩提樹』を含む連作歌曲『冬の旅』等々、有名なものだけでも挙げてもきりがないほど多くの名作にあふれている。そして31年というあまりに短い一生の間に書かれた歌曲は600をゆうに超え、その膨大なレパートリーは、繊細で美しい旋律と妙味に満ちた伴奏とによって、魅力あふれるドイツ・リートの世界を紡ぎ出しており、「歌曲王」の名にふさわしい足跡を音楽史上に残した。もちろんこれら歌曲の持つ叙情性はそのまま器楽曲や管弦楽曲にも通底しており、シューベルトの音楽全体の大きな魅力となっていることは言うまでもない。
 1797年ウィーンに生まれ、幼いうちからその音楽的才能を発揮していたシューベルトは、11歳にはすでに親元を離れコンヴィクトと呼ばれる王立寄宿制学校へ入学し、かのサリエーリのもとで作曲を学んだ。そして1813年に16歳でコンヴィクトを去ったのち、初等教員養成学校へ1年ほど通い、父が校長を務める学校で教師の職につく。そして数年の間そこで教鞭を執るかたわら、いつかはモーツァルトやベートーヴェン、あるいは師サリエーリのような大作曲家になれることを夢見て作曲にいそしんでいた。この頃のシューベルトの並々ならぬ意欲は膨大な創作量となってあらわれている。とくに1815年には『魔王』や『野ばら』を含む145の歌曲をはじめ、数々のピアノ曲の他、交響曲2曲やミサ曲2曲なども作曲されたが、なかでも注目すべきはこの年に4つもの劇場作品が書かれていることである。「歌曲王」としての多大な成果の陰に隠れてしまいがちであるが、シューベルトには生涯にわたってオペラあるいはジングシュピールの作曲家としての成功も夢見つつ、結局叶えることができなかったという側面もあったことを見逃してはならない。
 さて、今回演奏する『悲劇的』交響曲はその翌年である1816年に書かれたものである。当時のシューベルトが「オペラがダメなら交響曲で勝負だ!」と考えていたかどうかはわからない。しかし自ら総譜に「悲劇的」と書き込んだこの交響曲は、モーツァルトやハイドン、そしてベートーヴェンを範と仰ぎつつ、立派な交響曲を書き上げようという若きシューベルトの意気込みにあふれている。とくに、楽章および旋律を短いモチーフの積み重ねによって構成しようとする意図が明らかであるほか、楽章間に連関を与える工夫として、第一楽章主要主題と第二楽章副次主題、そして第三楽章のトリオが、すべて同じモチーフで開始されている。また他方で、楽器同士の対話や情景描写的な伴奏など、交響曲というよりはむしろオペラを念頭に置いているような書法も随所にあらわれており、シューベルト自身のオペラへの強い関心や、かつての大オペラ作家サリエーリからの強い影響も見受けられる。

第一楽章:アダージョ・モルト-アレグロ・ヴィヴァーチェ 重苦しく沈鬱な序奏がやや長めに続いたのち、憂いを含んだメランコリックな主要主題が弦楽器によって奏される。副次主題は明るく伸びやかだが、そのかげで休むことなく刻む伴奏は安らぎを拒むかのようである。全体にモーツァルトを思わせるような素朴な構成だが、時折姿を見せる劇的で大胆な転調が、聴くものの意表を衝く。そして意外にもハ長調で明るく締めくくられる。

第二楽章:アンダンテ
ベートーヴェンに倣ったのか、長三度下の変イ長調が使用されている。優美な旋律による甘美で情緒豊かな主部と、調を変えて二度あらわれる劇的な要素をもった短調の中間部分とが対照的である。

第三楽章:メヌエット、アレグロ・ヴィヴァーチェ-トリオ
弱拍へのアクセントとヘミオラのリズムが特徴的な、テンポの速いメヌエット。トリオは木管楽器が伸びやかに歌い上げる。

第四楽章:アレグロ
木管楽器の呼ぶ声に導かれ、第一楽章と同じ雰囲気を持った旋律が駆け抜ける。ざわめくような伴奏にのせてヴァイオリンと木管楽器とが対話する副次主題はオペラのワンシーンを見ているかのように魅惑的である。そして第一楽章と同様、短調で開始しながら長調で終止し、決然と(あるいは投げ遣りに?)叩きつけるようなハ音の斉奏で全曲が閉じられる。

    

マーラー/交響曲第4番 ト長調

 ボヘミアの片田舎出身のユダヤ人であったグスタフ・マーラーが、オーストリア=ハンガリー二重帝国の帝都ウィーンの宮廷歌劇場の指揮者に任命されたのは1897年、37歳の春であり、同年秋には同歌劇場の音楽監督、翌年にはさらにウィーン・フィルハーモニー管弦楽団指揮者をも兼任している。当時のウィーンは政治・文化両面において世界の中心のひとつと言ってよく、市民はハプスブルグ家700年の伝統と、建築・絵画・音楽・デザインなどの新芸術の波が共存する世紀末ウィーンの繁栄を謳歌していた。この第四交響曲は、マーラーがそのウィーン音楽界に「指揮者として」君臨したころ、すなわち1899年と1900年の夏季休暇中に作曲され、1901年、ミュンヘンにて自身の指揮で初演されている。しかしながら、第四楽章のみは別途『子供の魔法の角笛』歌曲集の『天上の生活』と題して1892年に書かれ、単独で演奏もされている。当初は第三交響曲の第七楽章に収めることが意図されていたというこの曲のために、新たに第一楽章から第三楽章がいわば「後付け」された。このため先行する3つの楽章には第四楽章の主題が随所に散りばめられており、それぞれが『天上の生活』を導き、あるいは引き立てる役割を果たしている。

第一楽章:ほどよい速さで、急がずに ト長調 4/4拍子 ソナタ形式
印象的な鈴とフルートによってロ短調で開始されるも、フレーズ末尾でリタルダンドされるクラリネット、続く第一主題(ヴァイオリン)とはずれが生じるよう指定されている。主題は装飾音的な動きも含んだハイドン風なものである。第二主題はチェロがゆったりと歌う。展開部では、4本のフルートのユニゾンによって新しい旋律が現れる。これは、第四楽章の主題の先取りとなっている。その後音楽は展開部において混沌とした様相を示し、第五交響曲の第一楽章冒頭を想起させるトランペットによるファンファーレ動機によって強制的に中断される。第一主題の再現は唐突で、しかも主題の途中から再現される。
 

第二楽章:落ち着いたテンポで、あせらずに スケルツォ ハ短調 3/8拍子 三部形式
長二度高く調弦した独奏ヴァイオリンが登場する。草稿において「友ハイン(死神)が演奏する」と注を入れたこともあるマーラー自身が「このスケルツォは、諸君が聴くとき、髪の毛が逆立つほど神秘的で昏迷した超自然的なものだ」と述べているように、ホルンが先導する素朴な旋律に道化役の木管が絡み、弦楽器のグリッサンドが多用されるなか、彼岸との異常な対話が展開される。

第三楽章:やすらぎに満ちて、少しゆるやかに ト長調 4/4拍子 変奏曲形式
中低弦で静かに始まり、2つの主題が交互に変奏される。第九交響曲の第四楽章を先取りしたかのような雰囲気が漂う。第二変奏から次第に軽快になり、拍子、テンポ、調性がめまぐるしく移り変わる。楽章の終わり近くで突然盛り上がり、ホ長調で第四楽章の主題が勝利を歌うかのように高らかに強奏される。最後は属和音のニ長調となり、静寂のうちに第四楽章を準備する。

第四楽章:きわめて快適に ト長調 4/4拍子
クラリネットが小鳥のさえずりのような音形をもって穏やかな雰囲気を作ると、いよいよソプラノ独唱が天上の楽しさを歌う。弦楽器はゆらゆらと揺れ動き、イングリッシュ・ホルン、フルート、ハープがこれ以上なく牧歌的に響く。
ソプラノはまず、「私たちはいま天上の喜びを味わっている。だから俗世のことなど気にならない。俗世の騒ぎなど天上にいると少しも聞こえてこない…」と天上の幸福な様子を歌うが、突然、騒がしくなり強いリズムが示される。これは第一楽章の冒頭で鈴によって暗示されていたものである。ソプラノは不安げに第二の部分を歌いだす。「聖ヨハネが小羊を連れてくる。屠殺者ヘロデがそれを待ち受ける。私たちができることといったらその純粋な小羊を死に導くことくらい…」。神の小羊、主イエスに対する罪の告白とも取れる。再び鈴による中断があり、今度は穏やかな第三部となる。「あらゆる種類の野菜や果物が天上には生い茂っている。上等のアスパラガスにインゲン豆、リンゴ、梨、ぶどう酒…。なにもかも望み通り…」。みたび鈴がやってきて第四の部分になる。そののちイングリッシュ・ホルンがバグパイプの音をまねる。「この天上には音楽だってある。地上のどんなものも比べ物にならないような音楽が。…すべての感覚を喜びに目覚めさせる。そしてすべてを幸福にさせる」。曲は安らぎに満ちたまま静かになっていき、イングリッシュ・ホルンとハープの響きを残して永遠の彼方に消え去っていく。        

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