ワーグナー/歌劇「リエンツィ」序曲

14世紀のローマ。公証人のリエンツィは護民官(平民の中から選出され特権をもつ公職)に就くが、横暴な貴族階級と対立して貴族達から命を狙われる。リエンツィの暗殺計画は失敗に終わり、首謀者達は捕らえられたものの、妹のイレーネと恋仲にある貴族のアドリアーノの懇願により命は助けられる。しかし命を助けられた貴族達は反乱を起こし、やがて市民との戦争に発展する。リエンツィの率いる市民はこれに勝利するが、その後リエンツィはローマの新しい皇帝、教皇から弾圧されることになり、市民からも反感をもたれるようになる。ついに市民の怒りは頂点に達し、リエンツィの宮殿には火が放たれる。アドリアーノはイレーネを助けに入るが、宮殿は焼けて崩れ落ちてしまう。

以上は歌劇「リエンツィ」の簡単なあらすじです。「リエンツィ」は、稀代のオペラ作家リヒャルト・ワーグナーの完成させた3作目のオペラです。
1842年(当時ワーグナーは29歳)のこの作品の初演は大成功を収め、後にワーグナーが歴史あるザクセン宮廷歌劇場(現在のドレスデン国立歌劇場)の楽長に任命されるきっかけとなりました。いわばこの大作曲家の出世作になります。
しかし、「リエンツィ」は世界中に熱狂的な支持者のいるワーグナーの作品にあっても、今や本日演奏する序曲が独立して演奏されるばかりで、全曲の上演は希少です(と書いてみましたが、この4月にもベルリン・ドイツ・オペラで上演があったようです。あくまで以降の作品に比べると圧倒的に少ない、とご理解ください)。ワーグナーが自身の作品の上演の為に創設したバイロイト音楽祭においてすらも上演されません。
ワーグナーはその生涯において、指示動機の駆使をはじめ、無限旋律の採用や半音階・不協和音(トリスタン和音)の多用などの独特な作曲技法を綿密に張り巡らせた革新的な作品を次々と世に送り出し、歌劇をさらに発展させた楽劇という総合芸術を確立しました。その作品群が後世の作曲家に与えた多大な影響は音楽史上で非常に重要な意味をもっています。
しかし、このような作曲技法の発展は4作目の「さまよえるオランダ人」から顕著にみることができるもので、特に6作目「ローエングリン」以降の作品が楽劇と呼ばれています。そんな中にあって、当時のフランスを中心に既に流行していたグランド・オペラの形式で、作曲技法も未熟な頃に書かれた「リエンツィ」はワーグナーを代表する作品にはなり得なかったのです。
この序曲には「さまよえるオランダ人」や「タンホイザー」などのほぼ同時期に作曲されたといってよい初期の作品に通じるオーケストレーションも随所にみられますが、後期の緻密で重層的な構成の作品に比すれば、その非常に単純なつくりはワーグナーらしからぬ稚拙さというほかないでしょう。しかしその荒削りな才能とエネルギーに溢れる作風はまた別の情熱的な魅力をもっており、大作曲家ワーグナーの作曲技法の成熟の過程を知る上でも重要な作品の一つなのです。
ちなみに3年後に迫った2013年はワーグナー生誕200年にあたります。「リエンツィ」までの最初期の3作品は、日本での舞台つき上演は数えるほどしかないのですが、この機会にスポットが当てられることもあるのではないかと密かに期待しているファンもいるのではないでしょうか。

ハンス・ロット/田園前奏曲 ヘ長調

 「ブラームスはお好きですか?」現代の日本で、こんな台詞でデートに誘い上手くOKを貰える可能性がどれだけあるのかわかりません。ただ、昨年のプログラムノートでの「ブラームスはお好きですか?」との問いに様々なお返事を返してくださった皆様でも、「ハンス・ロットはお好きですか?」との問いには、(この曲目当てにご来場くださった方や、マーラー関連の回想記をよく読まれる方を除けば)「それは何ですか?」と答えられる方が多いのではないでしょうか。
 本日の演奏会、若がりし20代半ば頃のワーグナーとブラームスの曲に挟まれ演奏される曲目は、これまた20代のハンス・ロットが作曲した田園前奏曲。二人から多大な影響を受けたハンス・ロットの20代は、同じ20代とはいっても他の二人より短いものでした。前後の作曲家と違い知名度が圧倒的に低いと思われるこの作曲家について、まずはご紹介させていただきたいと思います。

【ハンス・ロットその人生】
<音楽への道>
 ワーグナーが「トリスタンとイゾルデ」を作曲中で、ブラームスが「セレナーデ第1番」を完成したとされる1858年、ウィーンの郊外。ハンス・ロット(本名はヨーハン・ネーポム・カール・マリーア・ロート)は、喜劇俳優の父と歌手・女優の母との間に(二人が結婚する数年前に)生まれました。父に音楽の素養があったこともあり、小さい頃から音楽に親しみます。1874年に入学したウィーン音楽院では、翌年入学してきた2歳年下のマーラーと出会い、共に刺激を与え合いながら音楽の道を志します。また、オルガンをブルックナーに師事し、音楽院のコンクールでも1位を獲得。ブルックナーはロットのバッハ演奏や即興演奏を高く評価していたようです。その他に音楽院では和声法、対位法、作曲法を学び、この時代の他の生徒同様にウィーンで栄華を誇ったワーグナーの影響を大きく受け、1875年、ウィーン・アカデミー・ワーグナー協会に入り、数々の上演に立ち合ってワーグナーの曲に親しみました。さらに協会の選抜メンバーとして1876年の第1回バイロイト音楽祭も訪れています。
<苦難の道>
 と書くと、順風満帆の音楽人生に見えるかもしれません。しかし実際には不幸が続きました。ウィーン音楽院入学前の1872年、彼が14歳の時に母を亡くします。更に1875年、彼が17歳の時には父が舞台上で事故にあい、職を失った上、その治療に財産の大半を費し、翌1876年に父を亡くします。こうして、次々と起こる不幸の末に18歳にして生活の基盤を失い、自らの手で生計を立てなくてはならない事態となったため、その後約2年間、修道院のオルガニストとして働きながら、修道院に一室を借りて音楽院に通いました。そんな彼にとっての生きる道は音楽以外に無く、大きな夢と不安を抱えながら演奏・作曲活動を行っていたのは想像に難くありません。彼は1874年から本格的に始めていた作曲活動を1876年以降精力的に行いますが、その結果、大変残念なことに破滅への道を進むことになります。
<作曲家ロット>
 在学中から数曲の管弦楽曲や歌曲を完成し、1878年、その集大成として卒業課題にも出した交響曲第1番の第1楽章をもって、卒業生を対象としたコンクールに応募するも、何とマーラー含む応募者のうちロットのみが落選してしまいます(マーラーは現存しないピアノ五重奏で受賞。ある回想によるとマーラーは自分も一緒に落ちたと言ったようですが、他の年の審査員や受賞者の名前を出したり、ベートーヴェン賞と混同している、というのが近年の研究結果のようです)。屈辱的な状況に追い討ちをかけるように、3ヶ月後には濡れ衣が原因で修道院の職を辞めることになり、経済的にいよいよ追い込まれます。オルガンの師匠であるブルックナーの強い推薦にもかかわらず、ザンクト・フローリアンなどのオルガニストの職は得られず、友人たちの援助や家庭教師で凌いでいたロットが、生まれ故郷のウィーンに居続ける為に大きな望みを托して完成させたのが、残り3楽章が加えられた交響曲第1番と本日演奏される田園前奏曲でした。1880年、彼は国の奨学金にこの2曲を応募すると共に、自分の曲を世に知らしめるべく、積極的に動きます。
<夢と現実>
 まず、応募する際に提出するスコアと共にあらかじめパート譜まで準備し、時のウィーン・フィルの首席指揮者であったハンス・リヒター(ブラームスの交響曲第2番を1877年に、第3番を1883年にウィーン・フィルと初演)に掛け合って交響曲を演奏してもらおうと試みました。また奨学金の審査員のメンバーになっていたハンスリックとブラームスに直接会い交響曲を聴かせることで認めてもらおうと試みたのです。しかしながら、独断でチャイコフスキーの序曲を取り上げた経験のあるハンス・リヒターの決断にかける、という楽観的な行為と、幾らブルックナーから高い評価を貰っていたとはいえ、当時の音楽界の構図を考えると突っ込みどころ満載な行為は、成就することなく終わります。ハンス・リヒターには前向きなコメントは貰えて何度か会うものの、演奏の確約はされず、やがては会う約束すらすっぽかされるようになり、その間に会えたブラームスからは曲を酷評されたのでした。
<そして…>
 どうしてもウィーンに留まりたかったロットも万策尽きました。そして友人たちや想いを寄せていた(それは作曲の原動力にもなった)女性の説得によりウィーンを離れることを受け入れた時には既に彼の精神崩壊が始まっており、ミュールーズ(当時ドイツ領だった都市で今はフランスの東の端。スイス第3の都市バーゼルにも近い)の合唱協会の指揮の職に就くべく移動していた列車の中でついに発狂します。数日前から「ミュールーズの人やブラームスが自分を監視している」と言っていたロットは「ブラームスが列車にダイナマイトを仕掛けている」と信じこみ、同乗者がタバコに火を点けようとした瞬間それを止めようとピストルを突きつけたのでした。当然取り押さえられたロットは病院の精神科に収容され、翌年には精神病院に移され、「回復の見込み無し」と診断を受け、数回の自殺未遂の後に1884年結核の為亡くなります。その人生わずか26年足らず。精神病院に収容された翌月(数日後という説もあり)にあれほど望んだ奨学金授与の通知が、ブラームスの反対にもかかわらず、届いたというのは、なんと残酷なエピソードでしょうか…。

【田園前奏曲】
 さて、大分長い作曲家紹介となってしまいました。曲のご紹介も少しばかりさせていただきます。
ブラームスが『田園交響曲』とも呼ばれる交響曲第2番を書いた1877年、ロットは田園前奏曲の作曲を開始し、1880年に完成しました。前半はのどかな落ち着いたテンポで進み、木管楽器による鳥の鳴き声を思わせるフレーズ(マーラーの交響曲第1番冒頭と雰囲気が似てませんか?)や、木の揺れを思わせる(皆さんはどう感じられましたでしょうか?)低弦の半音下降の後に、金管のコラールや弦のピッチカートによる暗い行進曲風フレーズが登場し、マーラーの交響曲第2番を思いだすような高揚や、低弦の唸り、そして弦の小人数でのアンサンブルとクレッシェンドの後に2ndヴァイオリンの旋律でフーガが登場、フーガはコーダまで続き、最後は全楽器のF-durで曲を締めくくります。盛り上がったところで出てくるトライアングルは、交響曲でも最高潮の場面で何度も登場しており、ロットのオーケストレーションの特徴の一つといえるでしょう。
 なお、ロットが作曲家としての成功を願って完成したこの田園前奏曲と交響曲第1番には共通するモチーフがあります。田園前奏曲の冒頭でファゴットとチューバによるF-durの和音に乗っかり出てくるホルンから、その後に重なる形で出てくるヴァイオリン、および続いて出てくる低弦までがこの曲のテーマであり、このテーマを構成するモチーフが曲中で展開し、曲の最後でテーマが回帰します。またその冒頭のホルンによるモチーフ「C-F-A-D(5-1-3-6)」は特に重要で、フーガやコーダなど節目の他にも幾度となく登場します。このモチーフは交響曲においても登場し、4つの楽章を繋ぐテーマのモチーフであることに触れておきたいと思います。交響曲ではフルートと1stヴァイオリンの分散和音によるE-durの和音に乗っかり、トランペットが「H-E-G#-(E-)C# (5-1-3-(1-)6)」と出てきます。この2曲に共通するモチーフが何なのか、オルガンで得意としたバッハへのオマージュでBACHモチーフに倣ったのか(BACHモチーフに倣ったといえばDSCHモチーフが有名ですね)、あるいは私の勘違いか、どなたかご存知でしたらアンケートやその他どんな手段を使ってでも是非ご教授ください…。

【ロットと本日の演奏に関する個人的な思い】
 ハンス・ロットは友人への手紙、日記やメモなどから生涯で約80曲を作曲したことが分かっています。その草稿の大半は友人が引継ぎ、その娘がオーストリア国立図書館に寄贈し、マーラー研究の中で偶然発掘されるまで眠ることとなりました。しかし、残念なことにスケッチなどの多くを自ら破棄しているため、演奏可能なものは全て1880年以前に作曲された20曲余りしかなく、録音も多くありません。それでも、1989年に交響曲が初演されて以来、その作品の評価は(特に今世紀に入って)世界各地に広がっており、日本でも2004年に交響曲が初演されその後何度も取り上げられるようになっており(本日指揮いただく寺岡氏は、国内でハンス・ロットの交響曲を2回指揮されています)、「ジュリアス・シーザーへの前奏曲(冒頭の主題の音符の長さがマイスタージンガーと同じ、最後に全楽器が3つのメロディーに分かれるなど大きな影響を受けている)」も2度日本で演奏されております。そして本日の田園前奏曲はおそらく日本初演となりますが、今後、日本で演奏される機会もさらに広がっていって欲しいと考えております。
 もし本日初めてロットの名前を知り、興味を持たれた方は、是非交響曲も聴いていただきたいと思います。バッハ、ベートーヴェン、そしてワーグナー、ブルックナー、ブラームス(彼はなぜ酷評したのでしょうか。ただ、ブラームスは他人だけでなく自分にも厳しい人間だったのはご存知の通りです)に対するロットからの若いなりのオマージュと、ロットに対するマーラーのオマージュ(彼が交響曲第1番に着手したのは1884年。1880年時点では、大戦で失われた習作のような交響曲しか書いていません)がそこにはあります。
 ワーグナーは数曲あれど、ブルックナーやマーラーを演奏会にて取り上げたことのない当団において、オケの提唱者であり、ロット指揮の第一人者とも言える寺岡氏の手でハンス・ロットを取り上げるというのは、(私は選曲にかかわらず、また全く予想していなかっただけに)一層感慨深いものがあります。ハンス・ロットが作曲した年齢をほとんど(全員?)の団員が超えていますが、その我々が彼の願いをどこまで皆さんにお届けできるか、注目したいと思います。
 最後に、本日の演奏が何かしら皆様の心に残ることを祈りつつ、ハンス・ロットに関する逸話的コメントを幾つかご紹介し、結びとさせていただきます。

・ 笑うのを止めなさい。あなたたちはやがてこの若者が創り出す素晴らしい曲を聴くことになるのだから。(ブルックナー)
・ この作品には非常に美しい部分もあるが総じて平凡だ。だから、その美しい部分も君の作曲ではないのだろう。(ブラームス)
・ 彼を失ったことで音楽のこうむった損失ははかりしれない。(中略)僕は彼から非常に多くを学ぶことが出来たはずだし、たぶん僕たち2人がそろえば、この新しい音楽の時代の中身を相当な程度に汲み尽くしていただろう。(マーラー)

『参考文献』
ハンス・ロット 交響曲第1番ホ長調 スコア RIES&ERLER社
セバスティアン・ヴァイグレ指揮 ミュンヘン放送管弦楽団(BMGジャパン:BVCE-38080)ブックレット(井内 重太郎氏訳)
デニス・ルッセル・デイビス指揮 ウィーン放送交響楽団(Cpo:999854)ブックレット
国際ハンス・ロット協会HP http://www.hans-rott.org/
日本ハンス・ロット協会HP http://homepage3.nifty.com/hans-rott/
新日本フィルハーモニー交響楽団 第397回定期演奏会 プログラムノート(山尾 敦史氏)
東京アカデミッシェカペレ 第32回定期演奏会 プログラムノート
京都フィロムジカ管弦楽団 第18回定期演奏会 プログラムノート(遠藤 啓輔氏)
京都フィロムジカ管弦楽団 第25回定期演奏会 プログラムノート(遠藤 啓輔氏)

ブラームス/セレナーデ第1番 ニ長調

ドイツ・ロマン派を代表する大作曲家、ヨハネス・ブラームス(1833~97)。写真(右)のような外見も相まってか、よく言われるところの彼のイメージは「重厚」「哀愁」「内省的」「枯淡」「静謐」、あるいは彼の音楽が苦手な人からすれば「暗い」「重い」「ウジウジしている」といったところでしょうか。
でも、本日演奏いたしますセレナーデの第1番、特に第1楽章を聴いて、「ブラームスはなんて暗いヤツだ!」と思われる方はまずいないでしょう。
自己批判の強いブラームスは、その63年の生涯でわずか13曲しか管弦楽作品を残しませんでした。その記念すべき第1作にあたる本作は、1857年から58年にかけて書かれたとされています。なぜセレナーデを書いたのか、そしてなぜ「このような」セレナーデを書いたのか、背景を少し見てみましょう。
1857年、24歳のヨハネスは、大恩人で心の師でもあった作曲家ロベルト・シューマン(1856年没)の未亡人・クララの紹介もあり、自然豊かなデトモルトの宮廷に初めての定職を得ます。この仕事は、毎年9月から12月までピアノや合唱を教えればなんとか1年は暮らしていけるだけの収入が得られる、つまり残りの8ヶ月間は創作活動などの好きなことに充てられるという、悪くない条件だったようです。なにしろ、それまでの彼は生まれ故郷ハンブルクの場末の酒場で酔っ払い相手にピアノを弾いたり、知り合いのヴァイオリニストと地道に演奏旅行をして名前を売り出そうとしたりしていた訳ですから。この宮廷音楽家という立場が、セレナーデを書くとりあえずのきっかけになったようです。
この頃には、様々な様式を経た末にセレナーデとは「色々な楽器による複数楽章の合奏曲」といった形態に落ち着いていました。なんといっても、あのモーツァルトが宮廷音楽家として綺羅星のごとく名作のセレナーデを書いておりますから、ヨハネスも同じ貴族に仕える身としてそれらの音楽に実際に接する機会があったのでしょう。また、この時期は熱心にハイドンの音楽も研究していましたので、自身もセレナーデを作曲するというのは自然な流れだったに違いありません。
余談ですが、ベートーヴェンを意識するあまり最初の交響曲を書くのに20年以上もかかったのに対し、ハイドン・モーツァルトへのオマージュとも言うべきセレナーデはすぐに2曲仕上がった(第2番も1859年に完成)というのは興味深い事実です。
ともかく、彼はまず小編成の室内楽という形で、この曲の第1、3、6楽章にあたる曲を書きます。このときの編成は、ヴァイオリン・ヴィオラ・チェロ・コントラバス・フルート・クラリネット・ファゴット・ホルンという八重奏あるいはこれにクラリネットをもう1本足した九重奏と言われています。なぜ分からなくなってしまったかというと、残念ながら自己批判の強いブラームスによってオーケストラ版の完成後に室内楽版が破棄されてしまったからです。なお、最初から九重奏であったという説もありますが、後述の理由並びにクラリネットだけ最初から2本というのはいささか不自然ということもあり、私は一番初めは八重奏であったと思います。
残りの3つの楽章を完成後、この室内楽版はデトモルトの雇い主の下で無事初演されます。ところがこの曲にシンフォニックな響きを感じ取ったクララ等の薦めによりこれをさらにオーケストラ用に編曲、1860年にはより大きな都市であるハノーファーで早速初演されます。ちなみにこの時彼はこの曲に「交響曲-セレナーデ」という、なんとも煮え切らないというか実に彼らしいタイトルをつけたそうです。
さて、さらに興味深いのが、なぜ「かくも明るい」セレナーデを書いたかです。
というのも、このわずか数年前まで、ヨハネスは件のシューマン未亡人・クララと大恋愛をしてしまい、さらにそれを自分の決断力の無さと自己批判故に泣く泣く諦め、そうかと思えば才能豊かな若い歌手と相思相愛の仲になりせっかく婚約までしたのに、「ボクってこれからあなたとどうすればいいでしょうか」という身も蓋も無いような手紙を書いてしまったのをきっかけに破局してしまったりといった、精神的には不安定極まりないであろう時期だったからです。「自己批判の強い」彼ならば、この作品そのものを破棄してしまったかもしれません。
理由は今となっては想像するしかありません。代わりにと言ってはなんですが、こちらをご覧ください。写真(左)は20歳のヨハネス。真っ直ぐと見据えた瞳に、豊かにたなびく(おそらく)金髪。美青年、と言って差し支えないでしょう。もうひとつは、シューマンが書かせた同じく20歳のヨハネスのスケッチ(右)。やや俯きがちな表情になんとも繊細そうな目ではありませんか。この青年がどんな思いで数年後にこの曲を完成させたのか。ぜひ皆さんも想いを馳せてみてください。

第1楽章:アレグロ・モルト
なんと愉しい曲でしょう!
ヴィオラとチェロの牧歌的な5度の和音が4度鳴った後、これまた牧歌的な楽器であるホルンがまるで朝の草原を散歩しているような清清しい主題を楽しげに口ずさみ、それをクラリネットが「あ、そのメロディーいいね、ワタシはこんな風に歌っちゃおう」とばかりに引き継ぎ、それをオーボエ、さらに弦楽器、そして頂点ではトランペットが高らかに主題を奏でティンパニが軽やかに舞います。なんとも素直、正直なオーケストレーションではありませんか! スコアをながめて初めて「ふむふむそうか、こんなマニアックなことをブラームスは書いていたのか、やっぱり彼は最高だなぁ」なんて思うことは、ここではありません。
ひとしきり盛り上がった後にまずヴァイオリンとファゴットで出てくる第2主題では、二拍三連のリズムに彼らしさが表れています。展開部がまた演奏していてとっても愉しいのです。

第2楽章:スケルツォ(アレグト・ノン・トロッポ)-トリオ(ポコ・ピウ・モート)
1楽章からがらりと雰囲気が変わり、いかにもブラームスらしい「ミステリオーソ」な1曲。ヴィオラが大活躍します。
トリオは一転して明るい響きで、リズムも朗らかです。

第3楽章:アダージョ・ノン・トロッポ
本曲の「核」といえる、ドイツ・ロマン派の王道を行くような緩徐楽章。
様々な旋律が現れては消えて行き、うつろいやすくどことなくとりとめのない印象さえ与えます。メンデルスゾーン・シューマンの本流そのままに、木管楽器の音色が主役です。

第4楽章:メヌエットⅠ-Ⅱ
シンプル極まりなく、スコアにしてわずか3ページの小品ですが、無駄な音がひとつもありません。間違いなくブラームスの最高傑作のひとつでしょう。
メヌエットⅠはファゴット及びチェロの伴奏を従えたクラリネット二重奏にフルートが華を添え、メヌエットⅡはヴィオラの分散和音の上にヴァイオリンが物憂い旋律を奏でます。他の大部分の楽器はお休み。前述のようにこの曲は最初は八重奏であり、この楽章が加えられたときに九重奏になったのではと考える理由は、この楽章にあります。なぜなら、クラリネット2本がここまで効果的に使われている箇所(1楽章最後、3楽章冒頭なども確かに美しいですが)が全曲中他に見当たらない、つまり2本必要であった必然性がこの楽章ほどは感じられないからです。

第5楽章:スケルツォ アレグロ
ブラームスはスケルツォを数多く書いていますが、ベートーヴェンの系譜から連なるいわゆる「直球ど真ん中」のスケルツォはほとんど書いておらず、ましてやオーケストラ作品ではほとんどありません(ヴァイオリンのないセレナーデ第2番や、ピアノ協奏曲第2番くらいです)。
巨匠ブラームスには大変失礼ですが、「なんだ書こうと思えばこんなに素敵なスケルツォが書けるんじゃないか」とつい思ってしまうような、とても楽しい曲です。

第6楽章:ロンド アレグロ
有名な「ハンガリー舞曲集」を挙げるまでも無く、彼は民謡・民族的な曲に強い関心を持っていました。また、前述した「一緒に演奏旅行をしたヴァイオリニスト」もハンガリーの亡命者でした。そうした影響もあってか、民族的な色彩の強い楽章です。
ピアノで演奏するのにもぴったりな力強いリズムが全編を支配する中、なんともチャーミングな第2主題が印象的です。

ちなみに、元の室内楽版にない楽器(オーボエ、トランペット、ティンパニ)の扱いが気になるところですが、ごく自然に音があてがわれています。むしろこれらの楽器の活躍する場面が、逆説的にブラームスのこれらに求める役割を教えてくれます。