リヒャルト・シュトラウス:メタモルフォーゼン
メタモルフォーゼンは「変容」と訳されるが、その意味するところは「形態を変化させること」である。
完成は、1945年4月12日。
偉大な作曲家シュトラウスが82歳を迎えようとしている時、社会的にはドイツの無条件降伏まであと1ヶ月と迫っていた。
愛したドレスデンは壊滅状態、またミュンヘンとウィーンの国立歌劇場も破壊され、この戦争による破壊に対する深い悲しみを抱きつつ1ヶ月の期間で書き上げられたのである。
スケッチ帳には晩年のゲーテの"温和な諷刺詩集"からの引用が記されている。
「23のソロ弦楽奏者の為の習作」と副題が与えられているように、バイオリン10、ビオラ5、チェロ5、コントラバス3、といわゆる伝統的な弦楽合奏とは異なる編成であり、各奏者は独奏者として動かされる。
シュトラウスは作曲家としてのみならず指揮者としても成功を収めており、この2つの立場が相乗作用をおこし、大編成の管弦楽曲においても各奏者を独奏者として扱うことに秀でていた。
そういった意味では"メタモルフォーゼン"は作曲師シュトラウスのエッセンスとも言えるのではないか。
この曲にはベートーベンとワーグナー、とりわけ"第3交響曲<英雄>"と"トリスタンとイゾルデ"のモチーフが深く刻み込まれている。
最期から9小節目のところには「IM MEMORIAM! 追悼」と書き込まれており、まさにそこからベートーベンの葬送行進曲がコントラバスによって奏でられ、メタモルフォーゼンは終焉を迎える。
ヒンデミット:白鳥を焼く男
なかなか強烈なタイトルだが、決して「白鳥を焼いている男」を描いている曲ではないのでご安心。
この曲にはヒンデミット自身がプログラムノートを記しており、その概略は、「一人の吟遊詩人が楽しい宴にやってきて、遠方の地から携えてきた数々の歌を即興で披露する」というものである。
つまり、ヴィオラソロは吟遊詩人の役割だ。1楽章は、ヴィオラソロの後のトロンボーン、ホルンによる、民謡『山と深い谷の間に』に基づき、2楽章は『小さな菩提樹よ、さぁその葉をふりおとせ』という民謡と(ヴィオラとハープのデュオの後の木管のコラール)、『鶯が垣根の上にとまっている』という民謡(中間部のフガート)から成る。3楽章は、『あなたは白鳥を焼く男ではありませんね?』という踊りの曲による陽気な変奏曲。
Paul Hindemith(1895~1963)は、その音楽がナチスに攻撃され、1939年に米国に亡命した。
『白鳥を焼く男』は、このような彼が受けた政治的迫害に対する抵抗を表している曲とも言われている。(吟遊詩人、すなわちヴィオラは、作曲当時、亡命することを予感していたヒンデミット自身であり、祖国を去る悲しさや、音楽の素晴らしさを謳っている)
音楽を「道徳的、倫理的」と表現し、過度に美しく、甘美になることを警告したヒンデミット。
それゆえ、彼の音楽はどうも「理屈っぽい」と思われがちな気もするが、和声や旋律の力を信じた彼が聴衆に伝えたかった「何か」は、必ずあったはずである。
それを、ヴァイオリンでもチェロでもない(ましてやコントラバスでもない・・)、ヴィオラという楽器を媒体として用いて伝えようとしたことに、彼の魂を感じ取りたい。
そして本日は、そんなヴィオラが持つ魅力を、そしてソリスト須田さんの魅力を、十分に堪能して頂こう。
フォーレ:ペレアスとメリザンド
狩の途中迷い込んだ森の中、謎の美少女メリザンドに出逢った王子ゴローは、彼女を妻とする。
が、メリザンドはゴローの異父弟ペレアスと次第に惹かれ合っていく。
ペレアスは嫉妬に狂ったゴローに殺され、メリザンドもまた、ペレアスの後を追うように、病で命を落とす…
(要約すると身も蓋もないが)この深遠で暗示的なモーリス・メーテルリンク(メーテルランク)の戯曲「ペレアスとメリザンド」を題材として、1900年前後、フォーレ、ドビュッシー、シェーンベルク、シベリウスなどの大作曲家による作品が次々と生み出された。
中でも、同時代のフランスを代表する作曲家、フォーレ(英語版初演のための劇音楽(1898年)とこれを元にした組曲(1901年))とドビュッシー(オペラ(1902年))は、いずれも当時のフランス音楽の空気を反映しつつも、対照的な音楽を創造している。
印象主義的、感覚的なきらめきに溢れたドビュッシー。より古風で簡素、慎ましさと優しさに満ちたフォーレ。
組曲は、「前奏曲」、「糸を紡ぐ女」、「シシリエンヌ」、「メリザンドの死」の4曲からなる。悲劇を暗示しつつ静かに高揚し、寂寥のうちに沈む「前奏曲」。沈鬱な葬送的音楽が次第に悲しみを深め、やがて浄化されていく「メリザンドの死」。
この深遠な両曲に対し、「糸を紡ぐ女」では回転する糸車のような弦楽器を背景にオーボエが、「シシリエンヌ」では涼やかなハープの音色を背景にフルートが、それぞれ控え目でありながら魅力的な旋律を奏でる。
悲劇的な運命のもたらす憂愁、その中での束の間の幸せや喜び、はかない美しさ。そんなフォーレの魅力を味わっていただける演奏にしたいものだ。
ミヨー:屋根の上の牛
バレエ音楽「屋根の上の牡牛」は、ダリウス・ミヨーの「六人組」へのリオ土産とも言うべき作品である。
ミヨーは1917年に友人ポール・クローデルがフランス大使としてブラジルに赴任した際、秘書官として同行し、リオ・デ・ジャネイロに2年間滞在した。
このブラジル滞在はミヨーに多くの刺激を与えたが、特に彼が魅了されたのは街角やカーニヴァルで聴かれる音楽であった。
1918年パリに帰ったミヨーはブラジルの民謡やタンゴ、サンバ、マシーシェをひとつの曲に作曲し、当時のブラジルの流行歌の題名を採り『屋根の上の牡牛』と名付けた。
ミヨーは「六人組」の一員として知られているが、この曲は「六人組」の舵取り役ジャン・コクトーとの最初の共同作業となった。
ミヨーはこの曲をチャップリンの無声映画の伴奏に使えたらと考えていた。
しかしこれを聴いたコクトーは劇場的エンターテイメントに仕立てる事を提案したのだ。
その舞台は現在では当時の写真や証言から想像するしかないのだが、道化役者、軽業師が共演したということから普通に思い浮かべるバレーとはかなり違うものだったろう。
初演は1920年2月21日で3日間の興業は大成功を納めた。
5か月後にはロンドンで2週間に渡って再演され非常な話題になった。
このロンドン滞在中にミヨーはジャズに出合い『世界の創造』という傑作を残すことになるのだが、それはまた別の話になるだろう。
曲は最初に現れるサンバ風の主題を中心に様々な旋律がロンドのように連結されていくもので、途中8分の3拍子の牧歌的な中間部を挟む。
全体に平明な印象だが調性配置が独特で全曲中にすべての調性が出現するように仕組まれていて頻繁に転調するため気が抜けない。
多調性技法(複数の調性が同時に演奏される)が多用され滑稽かつ幻惑的な効果を挙げているが、これまだ演奏者の耳を惑わせる。
ミヨーはロンドン再演の際、練習で現代音楽に不慣れな女性ホルニストを何度も叱りつけたらしいのだが、我々としては彼女に深く同情するばかりである。
このように一筋縄ではいかない曲だが全体に溢れる陽気なラテンのノリと1920年代の幕開きにふさわしい輝きを表現できたら成功だと思うのだが…。ご期待ください。
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