モーツァルト 歌劇「魔笛」序曲 変ホ長調 K.620
この歌劇『魔笛』序曲が作曲されたのは、W.A.モーツァルトが死去するまさにその年、1791年のことであった。
初演間近にかろうじて脱稿した頃には病魔が体の深部へ達しており、モーツァルトは常に自らの死を意識しつつ作曲を推し進めていったに違いない。そのため、この曲は彼の遺書であると考えるむきも少なくない。
話はさかのぼるが、モーツァルトは1784年に大きな転機を迎えていた。かねてから強い関心を示していた秘密結社フリーメイソンへの入団を許されたので ある。晩年のモーツァルトを精神的に支えたのはその理念であり、物質的に支えたのはそこで交わる仲間達であったわけだ。そのため、この遺書としての性格が 強い『魔笛』にはフリーメイソンの理念・象徴体系がそこかしこに現れてくるだけでなく、あらすじも、主人公タミーノがその参入儀礼を乗り越えてゆく過程の 話だと考えて差し支えない。
それでは、そもそもフリーメイソンの目指す理念とは一体何なのか。それは、徳を備えた個人としての人間の完成、そして人種や国家の枠にとらわれず、「自 由・平等・博愛」の精神を持った人々による人類共同体の形成、この2点に集約される。序曲でこの理念が明瞭に反映されているのは、冒頭と中間部に出てくる 「3回の和音」であろう。参入儀礼が「3回のノック」を合図にして始まることからも分かるように、この「3」という数字はフリーメイソンの象徴体系の中で も特別な地位を占めており、歌劇全体を通してこの数字を探し出すのは容易なのだ(序曲の調性もフラット「3」つの変ホ長調!)。そのため、冒頭からフリー メイソンの理念を堂々と披露してみせるモーツァルトの意気込みたるや、もう感嘆を覚えずにはおれない。この「3回の和音」は、モーツァルトがいかにフリー メイソンの理念にコミットしていたかを雄弁に物語っているのである。
以上、モーツァルトとフリーメイソンの関係から曲を見てきたが、この序曲、そんな小難しいことを考えなくても音楽自体が十分に素晴らしい。形式は序奏付 きのソナタ形式で、主部と展開部に見られるフーガ、木管楽器によるデュオなど聴き所・見所満載であり、演奏会の幕明けにこれほどふさわしい曲は少ないであ ろう。
モーツァルト オーボエ協奏曲 ハ長調 K.314
木管楽器を独奏としたモーツァルトの協奏曲は、フルート、オーボエ、クラリネット、ファゴットと、どれも珠玉の名曲ばかりですが、中でもオーボエ協奏曲 といえばモーツァルト、と言っても過言ではないくらい、モーツァルトのオーボエ協奏曲はオーボエの曲の中の名曲中の名曲です。
このオーボエ協奏曲は、1778年、マンハイムで作曲されたと言われていますが、この曲をモーツァルト自身が音程を2度上げてフルート用に編曲し、フルート協奏曲第2番ニ長調となったことでも有名です。
また、このオーボエ協奏曲の第3楽章のテーマのメロディは、1781年に作曲されたオペラ「後宮からの誘拐」(K.384)の第2幕の最初のアリアにも再び利用されています。
第1楽章は、大変さわやかで軽やかな曲で、華やかなサロンに良く似合う曲です。ソロとオーケストラが絶妙に絡み合っていて、緊張感を保ちながら音楽が展開していきます。
第2楽章は、豊かなオーケストラの序奏の後に、秋の空のように青く澄みきった素晴らしいメロディをオーボエソロが奏でます。
第3楽章はロンド形式で、同じテーマが最初を含めて4回でてきますが、さすがはモーツァルト、4回同じことはさせません。それぞれに子どものいたずらのように微妙な細工が施されていますので、是非耳を傾けてみてください。
さて今回は、本日の演奏会の指揮者である古部賢一氏をオーボエ独奏としてお迎えし、独奏をしながらオーケストラの指揮もする、いわゆる「吹き振り」の形をとっております。
とは言っても、独奏者が指揮をする、というよりもむしろ、ソロオーボエを中心に室内楽的な雰囲気が出せればと思っております。何はともあれ、魅惑の古部ワールドを存分にお楽しみください。
ベートーヴェン 交響曲第5番「運命」
ドイツ古典~ロマン派をメイン・レパートリーとするブルーメンだが、その保守本流ともいえるベートーヴェンの奇数番号交響曲への挑戦はこれがはじめてである。
ジャジャジャジャーン、と活字にしただけで連想されてしまうこのハ短調交響曲は、いわゆるクラシックに分類されるすべての曲の中で最も有名なのではないだ ろうか。日々の生活でも時折耳にするこの「・タタタ/ター」というモチーフは、もはや「運命」という言葉の代名詞になってしまった感がある。それは現代に 限ったことではなく、かつてメンデルスゾーンは結婚行進曲(「真夏の夜の夢」)に、マーラーは葬送行進曲(第五交響曲冒頭)にこれを用いているが、対極に 位置する「結婚」と「死」に共通のモチーフが扱われていることは興味深い。
この交響曲の最初のスケッチは今からちょうど200年前、1803年(第三交響曲の完成間近)にはじめられていた。初演は1808年、第六交響曲「田園」と同時に、作曲者自身の指揮で行われている。
「なんてやかましい曲だ。天井が落ちてきそうだ!」
文豪ゲーテはこう評したというが、当時の人々がこの曲をどう受け止めたか良くわかる。それまでの交響曲は形式にのっとった音楽の中に「美しさ」を求め る、ともすればイージーリスニング的なものが多かったのだが(例外はもちろんある)、ベートーヴェンはこれに人々の心に訴えかける感情(熱情?)を盛り込 むことに成功した。それはよく「苦悩/闘争から歓喜/勝利へ」などとされ、この曲の成功を受けて彼に続く多くの作曲家に模倣された効果的なプログラムであ るが、当時の聴衆の期待―適度に心地よいフレーズが流れる社交の場としての音楽会―には大いに反するものだったのだろう。
この曲は様式的にも革新性に溢れている。冒頭の1つの休符と4つの音符からなる、いわゆる「運命のモチーフ」によって曲全体が有機的に統一されており、 ベートーヴェンの作品中各楽章が最も緊密な構成をもっているものといえる。また、短調に始まり長調に終わるという楽章構成は交響曲史上はじめての試みだ が、切れ目なく演奏される3・4楽章の移行部は特に劇的な効果をもたらしている。さらに終楽章ではこれまで交響曲には用いられてこなかった新しい楽器を新 たに取り入れている。すなわちピッコロで高音を、コントラファゴットで低音を補強することにより管楽器の音域を上下に拡大し、宗教的な楽器であったトロン ボーンまで持ち出して(無茶な使い方ではあるが!)荘重な響きを作り出している。
第1楽章 アレグロ・コン・ブリオ ハ短調 4分の2拍子
フォルティシモによる衝撃的な開始(弦5部とクラリネットによる)はあまりにも有名であり、このテーマが徹頭徹尾追求される。畳み掛けるような緊張感の中、オーボエによる一瞬のカデンツァが実に印象深い。
第2楽章 アンダンテ・コン・モート 変イ長調 8分の3拍子
ヴィオラとチェロによるテーマに先導される、やすらぎに満ちた変奏曲。金管によるハ長調のファンファーレを第二主題とみればソナタ形式ともいえる。
第3楽章 スケルツォ アレグロ ハ短調 4分の3拍子
不安感を漂わせる低弦と木管の掛け合いにホルンの悲痛な叫び(運命のモチーフ)が続く。トリオは低弦から高弦へのフガート形式。再現部は徐々に弱々しくなり、心臓の鼓動のようなティンパニを伴った弦に導かれて終楽章へのブリッジ(橋掛け)へと続く。
第4楽章 アレグロ ハ長調 4分の4拍子
溜まりに溜まったエネルギーを一気に放出するかのような、歓喜/勝利と評されるファンファーレによって幕が開く。途中スケルツォの回想を挟み、再現部で気分は一層高揚する。コーダ(プレスト)ではハ長調の和音がこれでもかと続き、壮大な大団円を迎える。
この曲は日本では昔から非常に人気のある曲で、演奏会でも数多く取り上げられ、何十種類ものレコード・CDが発売されてきた。有名すぎるがためか、はたま たより大編成の派手な曲を聴衆が好んだためか、プロのオーケストラでは定期公演以外の「名曲コンサート」などで演奏される程度になってしまった時期もあっ た。一方学生オーケストラなどのアマチュアではアンサンブルを学ぶための格好の教材として盛んに取り上げられており、数回の演奏経験をもつ者も決して珍し くない。しかし、この曲の偉大さは通俗名曲として片付けられるものではなく、演奏するたびに発見があり、特に終楽章ではその都度新鮮な解放感を味わうこと ができる(疲労も相当なものだけれど)。本日はこの曲をこのメンバーで演奏できる、という喜びを皆様にお伝えできれば幸いである。
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